「現場からは以上です。」という締め括りの言い方がある。
テレビで現場から中継するレポーターが話を終了させる場合に用いる言い回しなのだが、応用範囲の広い言葉で、カジュアルな場にも、深刻な場にも使える言い回しで、私もいつか使ってみたいと思いながら今日まで使うことはなかった。
“現場からは以上です”と検索すると、
どうやらtwitter上で使う人が多そうだ。
ところで、この「現場からは以上です」という言い方は、聞いてくれてる人がいるということが前提の言葉だ。
ブログを始めたばかりの頃、数万人が見るんだろうなと思う自意識過剰な1%の自分と、残り99%は、見る人なんかいるわけないと思う気持ちの自分がいた。
この二つの思いがぶつかると、当然「見る人なんかいるわけない」が勝つので、私は読む人に向かって話しかけるように書くことに、すごく高いハードルを感じていた。
だから、誰かに語るというよりは、独り言に近い、相手はもう一人の自分という意識でやってきた。
こういう意識の元で約2年間続けてきて、自分でもなんとなくブログ上のキャラクターが出来がってるような気がするが、最近では読んでくれて頂いてる方の存在も感じられるようになってきたので、少し語りかけるような内容も増やしてみたいと思い始めてる。
そこで、気になるのがキャラクターが変になってしまうことだ。
なんだか、禅問答の匂いがしてくる。
キャラクターを変えようとしてるのに、"変"になることを恐れている。
世間一般では、キャラクター以外にキャラクターに相当することをどう表現するのだろうか?
解釈の幅を広く取ると、"イメージ"や"性格"などが浮かぶ。
これらを、Google Trendsで検索可能な2004年以降で比較すると、
この3つが交わってるのが2010年の末から2011年の頭にかけてだが、いろいろ調べたがこの時期に何かがあったというわけではなく、"イメージ"が使われていた表現が"性格"や"キャラクター"にシフトしている様子が伺える。
では、これらを変えようと思った場合、どういう表現が用いられるか?
イメージは、チェンジするものとして"イメージチェンジ"。
性格は"変える"と表現しそうだが、意味合いが違ったものになりそうな気もする。
"イメージ"や"性格"が内面も反映してる気がするのに対し"キャラクター"は、表面的な外面(そとづら)の印象があるので、"変更"が当てはまりそう。
"イメージチェンジ"、"性格を変える"、"キャラクター変更"を比較すると、
ここでも、"イメージ"が弱体化していると感じられる。
キャラクターを変更するという表現には、どこかお手軽な匂いが漂う。
そう思いながら頭に浮かんだのが、"別アカウント"という単語だ。
世間一般では、別アカウントは、実名ではできない暴言を吐いたりするための裏アカウントとして理解されているが、もしかしたら、キャラクターの使い分けとして使われているかもしれない。
そう思い、"別アカウント"も加えて比較すると、
アカウントを次々と変える人とは、最近ではアカウントを凍結される人を意味することが多いので、そこに反社会性を感じたりするが、それとは別に、キャラクターを模索する大勢の人々の存在も感じられる。
アカウントを凍結される人々は、いわゆるノイジーマイノリティで、キャラクターを模索する人々はサイレントマジョリティーと言えそうだ。
そう言えばと、思い出したCMがある。
1粒で2度美味しい
別アカウントを用いたり、キャラクターを変更することは、美味しさを何度も味わいたいという気持ちの表れでもあるかもしれないが、それ以上に、もっと美味しいものがあるかもしれないという思いなのかもしれない。
キャラクターの変更には、人生のやり直しに似た魅力がありそうだ。