経済は市場拡大というユートピアを求めてグローバル化し、その際の軋轢を緩和させるために現地生産を行い現地の人を雇用するという逃げ道を見つけた。
この逃げ道を可能にしたのは製造ラインの機械化や自動化で、コミュニケーションがスムーズではない現地の人を使っても製造の歩留まりを落とさない仕組みが可能になった。
最初は特殊な形体だったグローバル化は、経済のキーワードの『拡大』と相性が良かったためあっという間に普及した。
しかし、人件費が低いがゆえのユートピアがそのおかげで発展しだすと人件費は上昇しユートピアではなくなり、設備のリニューアルのタイミングで別のユートピアを求めることになる。
この繰り返しは、地球上からユートピアをどんどん奪うことに繋がり、製造業は花形産業ではなくなって行った。
その結果、製造業のユートピアはイノベーションになり、コストを掛けたからといって実現できるものではなくなった。
グローバル化にしてもイノベーションにしてもキーワードになるのは『アイデアとの出会い』だなと感じられる。
人間は『出会い』を求める生き物かもと思い当たると急に見え方が変わった。
ユートピアとは出会いなのだ。
出会いをマッチングと置き換えてもほぼ同義。
次のようなことも必然だったのだ。
様々な出会い系アプリの使い道
— こんな彼氏が好き (@konnakareshi) 2023年6月14日
(拾い画ね) pic.twitter.com/fQ8zb67Cio
闇バイトやブラックビジネスも、ユートピアである出会いを求めて需要と供給を一致させている。
経験や知恵を身につけるとやみくもに出会っても碌なことはないと学習する。
そうすると、同じ価値観を持ってる人と出会いたくなる。
絶対数はそれなりにいてもリアルに出会えるとは限らない。
そんな心のジレンマに忍び込むのがSNS。
SNSの向こう側にはきっとユートピアがあると思い込むからだ。
あるのはユートピアだけではない。
アカウントを作ってからの年数が長いほど隠しても隠しきれないキャラクターや本性はチラついてくる、無自覚な不用意な一言で信用を失ってるということはザラで、気付いてないのは本人だけというのはありがちなディストピアだろう。
だからと言ってアカウントを新しく作って再出発しようとしてもほとんどの場合同じ過ちを繰り返すはず。
しかし、それでもユートピアを求める、ユートピアは麻薬なのだ。
ポツンと一軒家で生活していても誰ともコミュニケーションを取らずに生きてる人などいない、むしろそういう人ほど数は少なくても濃密な絆を築けてる人や家族を持っている。
どんな生き方であろうと真に幸せな人はユートピアを持っている。
幸せでない人は例外なくユートピアを追いかけている。
引きこもりで家から出ない人でも、出会いは求めている、直接会うだけが出会いではないのだから。
真に誰とも出会いたくないと思った人は、この世に分かり合える人なんて誰一人いないと感じているだろうが、そういう人ですら『自殺』というキーワードで共感できそうな相手を探している。
『都合の良い話なんて無い』、そう思ってる人だってどこかにあると思ってるのがユートピア。
人脈も無ければコミュニケーション能力も無い、友達なんていないという人は現代には多いが、生きてる人間である限り出会いは求めているのだ。
出会いはユートピアの入り口だから。