違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

ラジオと耳

皆さんの生活に、ラジオは身近な存在でしょうか?

 

今日こんな記事を見た。

 

「ラジオ」止まらぬ高齢化、若者呼び戻せるか

「コンテンツさえ良ければ人は集まってくる」。ラジオ局関係者からは一様にこんな声が聞かれる。J-WAVEの神田竜也・取締役編成局長は、「コンテンツの質は大前提。世の中にこれだけ良いコンテンツがあふれているのに、それだけでは不十分。いかに(ラジオのことを)知ってもらうかが重要」と指摘する。

 

 

私は、中学高校と深夜放送が大好きだったので、ラジオは大好きで身近な存在だと思ってるが、じゃあ聞いてるかと言うと、たまに"ながら"で聞くことがある程度になっている。

 

テレビで著名な司会者たちの多くが、ラジオ出身だったり、お笑いタレントなど"しゃべり"で勝負する人々もラジオに出るということを意識してる人がいる。

 

ラジオが好きな人は、皆感じるだろうが、司会進行役(=DJ,パーソナリティ、アナウンサーなど)と視聴者の距離が近いのだ、それだけでなく視聴者どうしの距離も縮まるのが魅力だ。

 

そう思ってる私でさえ、大学入学以降はラジオは少し遠い存在になった。

 

気の利いた職場(私が思うだけ)では、ラジオをBGMにしてるところもある。

 

 

ラジオは、"ながら"作業に向いているし、"ながら"ではない場合は、極めて個人的な世界にどっぷり浸る傾向が出る。

 

つまり、"ながら"ではない場合、その場で大勢で共有するには向かないが、場が離れてる視聴者同士との間には共感を共有することができるという特徴がある。

 

ことばだけで何が伝わるかを、ラジオとテレビで比較すると、テレビでは、ことばは、ことば通りにしか伝わらない。

 

ニュアンスに相当するものは、ことばを介してではなく、視覚的な表情を介して伝わるが、その力は弱い。

 

一方ラジオは、ニュアンスは口調を通じて伝わるが、その伝わり方は音叉が共鳴するように、直接触れてないのに、触れてるように伝わる。

 

ラジオでは、大事な話は、その大事さがきちんと伝わり、どうでもいい話は、全く伝わらないが、テレビでは、大事な話もどうでもいい話も、同じように伝わる。

 

どちらが良くて、どちらが悪い、という話ではなく、特徴が違うというだけの違いだ。

 

 

 

 

 

 

ラジオは、『声』なんだと改めてわかる。

 

 

 

情報は、『視覚』に訴えるものばかりになっている。

 

知識は飛躍的に増えてるが、なぜか世間には賢くない人が溢れてる気がするのは気のせいだろうか?

 

 

 

 

過剰に視覚に依存することで、衰えてる機能や五感がありそうだ。

 

 

 

私は、時々するのだが、テレビドラマを音声だけで聞くと、意外な面白さが味わえる。

 

最初から、音声だけで企画されるラジオドラマと違い、テレビドラマでは会話が大事だと思われてるシーンでも、セリフが映像を補完するものになっていることに気付く。

 

テレビドラマを音声だけで聞いて面白いのは、セリフよりもバックの自然音やSE(効果音)や挿入歌(音)だったりで、これらの方が臨場感を盛り上げていることに気付ける、そしてセリフの場合だったら、ことばよりも、その『間』が伝えるものが大きいことに気付く。

 

音を感じ取ろうとすると、五感が研ぎ澄まされる。

 

そんな時、自然と目をつぶる。

 

五感が研ぎ澄まされると書いたが、そんな時は視覚だけは必ずしも必要としない。

 

最近、瞑想が流行っているが、これは視覚を遮断することに意味があるのかもしれない。