違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

【お手本】netgeekに学ぶSEO!

netgeekが叩かれている。

 

フェイクニュースが多く、記事の訂正や削除の対応の仕方にも非難が集まっている。

 

いくつか紹介すると、

 

 

 

 

ここで、疑問が湧いた。

 

ここまで言われながら、このように認識されているのに、閲覧する人が多いのは何故か?

 

監視してる人が多いというわけでは無さそうで、好んで見て読んでいる人が大勢いるということだ。

 

 

次のツイートがnetgeekの実態を良く表しているかもしれない。

 

 

 

 

 

 

今日の主題はここから。

 

そんなnetgeekだが、

 

 

 

ここに書いてある、「なぜそんなことが可能なのか?」、そこに迫ってみたい。

 

この手の議論は、「鶏が先か?、卵が先か?」という話になるが、メディア(ブログレベルも含み)は、先ず読んでもらうことがスタートだと考えがちだが、その手前に大きな壁がある。

 

それは、『存在を見つけてもらう』という壁だ。

 

リアルな書物ならば、いかに多くの店頭に並び、いかに広告や告知が行われるかに依存するだろう。

 

今だったら、ブログやSNSでの書評情報やAmazonなどの販売サイトなどのレビューが大きな役割を果たしている。

 

現代では、どこの誰かが不明な人が発する情報でも影響力を持てるのだが、間違いや錯覚でも良いが、一定の信頼や信用を獲得しなければ、影響力を持つことはできない。

 

メディアが影響力を持つということは、伝える内容よりも、何人にリーチできてるかが問われるので、その尺度は視聴率や発行部数やPV(ページビュー)やフォロワー数が使われるし、わかりやすい。

 

ここでジレンマが生まれる。

 

内容に拘れば、視聴率や発行部数やPV(ページビュー)やフォロワー数が増えるとは必ずしも言えないということだ。

 

極端なことを言うと、「内容に拘るが誰からも評価されない」場合と「やりたくないけど評価されること」の選択を迫られたときに、内容に拘ることを選べるかどうかだ。

 

つまり、自分を偽ることを是とできなければ評価を得られない場合に、ウソが吐けるかが問われる。

 

メディア以外の一般のビジネスの世界では、ウソを吐くことなんて今の日本では日常茶飯事だ。

 

もう少し正確に言うと、何がウソで何が正しいのかを分からずに、理解できずに行動している人が多いのだ。

 

そういう人々でも、自分がしてることが間違いだと分かれば良心は痛む。

 

今回は、netgeekを題材にしてるが、今でこそnetgeekはネームバリューがあるが、そうではなかった時期に選ばれる存在になれたからこそ今がある。

 

そうだとすると、netgeekは検索されるのが上手で、いわゆるSEOが上手だと言えるのだ。

 

SEOで何がどう変化するのかは、私も興味があるが、どうも性に合わないところがあってキーワードに拘ることがピンとこない。

 

ブログを書いていても、言いたいことを言っていても、キーワードに基づいて展開してるわけではないからだ。

 

そこで、少し考えてみようかと思っている。

 

自分が書いたものであっても、第三者の手がけたものを見るように捉えれば、分析の対象になり、そこにキーワードが見いだせるかもしれないと思い始めている。

 

そして、本来の反面教師とは使い方が違うが、netgeekのSEOを参考にするというのは"あり"なんじゃないかと感じる。

 

フェイクなのは内容であって、そこに見習うものは無いが、SEOという得体のしれないものを苦手にしないためには、わかりやすいお手本があったほうが良い。

 

反面教師?としてnetgeekをお手本にするのは悪くないかも!

 

 

おまけ

 

ちなみに、Google Trendsで見てみると、

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netgeekは2013年に開設され、最初の1年はあまり反響はなかったが、2014年からは反応が増え、コンスタントに検索数が伸びている。