違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

【興味がなくても分かる】入管法改正って悪いこと?!

今日は、今国会で大きな争点になっている「出入国管理法(入管法)の改正」について書いてみたい。

 

私にとってはあまり興味がない分野だったのできちんと理解してなかったが、カルロス・ゴーンさんの事件が何かを隠蔽するためだとすればなんだろうかと裏読みばかりする中で、知っておいて損がない問題だと思えるようになったので、備忘録的に整理してみたが、かなり偏ったものになってるかもしれないのでそのつもりで。

 

 

いつの頃からか、街で外国人を目にすることが多くなった、と言っても観光客ではない、明らかに日本で生活してると思しき人が増えているのだ。

 

私の目に付く外国人は電動自転車(電動アシストではなく)で歩道を走る人々で、ベトナム人が多いらしい。

 

その電動自転車(実質電気スクーター)を歩道で乗ってる姿が第一印象になるので当然良いイメージはない。

 

しかし、その一方で彼ら彼女らは過酷な生活を強いられてるという話もよく聞く。

 

 

 

 

アンケートに回答した絶対数が少ないが多くの人が外国人労働者を歓迎してないように見える。

 

 

ところで、この問題は世界では一足も二足も早く顕在化していて、アメリカのトランプ大統領誕生やイギリスのEU離脱も外国人労働者と難民を巡る問題として巻き起こったものだったが、日本ではどこか他人事だった。

 

日本では表向きは、難民も外国人労働者も受け入れてないことになっていたからだが、その裏で技能実習生と称したアルバイトを入り口にして日本にも浸透し始めていたのだ。

 

 

 

 

欧米で起きている移民や難民とは別の日本固有(ガラパゴス)な理由があるのだ。

 

 

 

今日にも成立すると言われてる入管法の改正だが、私は今日の朝からいろいろ検索し、にわか知識を詰め込んでるところだが、いろいろ分かると入管法改正にきっと反対したくなるんだろうなと思いながら始めたのだが、なかなかどうして反対する気持ちになれないのだ。

 

反対派の意見を見ると、ただ声高に「反対!」と言ってるだけで、どこがどうダメで反対してるかが全く見えないのだ。

 

日本人の働き場所が奪われると言ってる人もいるが、そもそも外国人労働者を求めてる現場では募集をかけても日本人が応募しない現場ばかりのはずだ。

 

最も大きな問題点は、法案成立後に詳細を決めるなんて言ってる点にあると思うのだが、そこすら指摘する声が少ない。

 

ところで、世界で移民反対が大きな動きになっている中で、最も強力に移民受け入れを推進してきたドイツが、移民対策が必要だと考えるようになり移民法を改正することになったらしい。

 

 

ドイツが改正する移民政策と日本が改正する入管法の違いは大して無いんじゃないだろうかと思えるのだがどうなのだろうか?

 

私はなにか肝心なことを見落としているのだろうか?

 

移民や難民が携わる労働を称して奴隷労働と呼ぶらしいが、低賃金で劣悪な労働という意味ならば、多くの労働が奴隷労働化してると言えるが、奴隷と奴隷以外を区別する要素があるとすると、それは「NO」が言えるかどうかだと思う。

 

「NO」が言い辛い環境や空気があったとしても、日本では法律的には言えるので、後は本人次第のはずだ。

 

 

ところで、今回の入管法改正は財界経済界からの要請だと言われてるが、このことから分かることは、政治家が国家運営にビジョンを持ててないということだ。

 

 

 

 

そして、どうやらそれは日本だけでは無さそうなのだ。

 

 

 

 

 

 

カルロス・ゴーンさんの件を裏読みして、入管法改正に思いを馳せてみたが、ここまで書きながら思い出したのが五木寛之の「燃える秋」。

 

 

私もこのツイートと同じ場面が頭に残っている。

 

決して移民の問題ではないのだが、

 

ペルシャ絨毯は、ほぼ女性が手編みで編んでいて、売りはその精密で細かい網目が織りなすデザインにあるが、富豪が使う高級品とされるものほど網目の細かさを求められるので、子供が編むのだがサイズが大きな宮殿用になると複数の子供が10数年かけて編み続けなければ完成しないのだ。

 

そしてそんなペルシャ絨毯を編んだ子供たちが、ペルシャ絨毯を生活の中で使うことは決して無いのだ。

 

そんな事情を知っているヒロインの女性は、商社マンが機械化でペルシャ絨毯を安価に大量生産しようと考えたことが許せなくて別れた。

 

移民や難民だけでなく、自国内でも様々な格差が生じていて、そこには詐取やピンハネという構図があるが、この構図を変えようと疲弊するよりも、その構図の中で幸せを見つけるということをやった方が良いだろうなとつくづく思った。