違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

日本人のお酒観

日本人がお酒に甘いのは今や世界が認識してる。

 

ハロウィンで渋谷を目指す外国人で路上飲酒が目的な人がかなりいるようだ。

 

自分の母国ではできないことがしたいのかもしれないが、それは大麻を堂々と嗜みたいから外国へ行く日本人と同じだとすると、路上飲酒が目的で来日する外国人の属性は推して知るべしだ。

 

古いタイプの日本人(年齢というよりも価値観が)にとっても、酒の上での出来事は免責されるという免罪符信仰はまだ生きている。

 

「路上飲酒は規制すべき?」渋谷で掲げたゼロ宣言、2000人調査で見えたマナー問題

 

この記事の中で日本人のお酒観のルーツかなと思われる記述があった。

 

 

日本における花見の始まりは奈良時代にまでさかのぼるといいます。 「平安時代までは貴族の行事でしたが、鎌倉時代になるとこれが武士の間にも広まり、豊臣秀吉が盛大な『醍醐の花見』や『吉野の花見』を主催。庶民の間に『花見酒』の宴会が普及・定着したのは江戸時代と言われています」 花見を始め、公共の屋外で酒をたしなみながら季節を感じる行為は、古くから日本に受け継がれてきた独自の飲酒文化といえるでしょう。

 

 

 

常々思ってる不思議の一つに、地域活性化とか地域おこしと言うとバカの一つ覚えみたいに地酒を作りたがることがあった。

 

 

地域から人が減るから活性化を図る必要があるのに、どんどん消費が減ってるお酒でなぜ活性化が図れると思うのだろうか?

 

そうすると、地元のキレイな水を活かすためという一つ覚え返しを展開する。

 

 

 

国税庁課税部酒税課発行の「酒のしおり」令和5(2023)年6月

 

 

 

そう遠くないうちにお酒もタバコと同じ道を辿るような気がする。

 

かつてアメリカでは禁酒法で酒の製造が禁止されたが、飲酒は禁止されなかった。

 

 

現代のおもしろいところは、酒を飲みたくない人が増加傾向だという点だ。

 

理由はさまざまあるだろうが、最近では酒は百薬の長だと思う人は減っているはず、適量のマジックで誤魔化してはいるが。

 

酒が薬ならば覚醒剤だって薬、しかしそうではないだろう。

 

そういう認識の人が増えてるはず。

 

 

それでもお酒はゼロになる事はない、ポジティブな理由よりも、ネガティブな理由の方が多いのではないだろうか。

 

お付き合いでしょうがない。

 

ストレスを抑えるため。

 

飲まなきゃ寝れない(これもストレスかも)。

 

 

依存や中毒は論外としても、お付き合いだからしょうがないと飲むことは、少なからず新たなストレスになるだろう。

 

 

ストレスが無ければお酒は限りなく不要、かもしれない。