違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

『超能力と錯覚』で、人間を踊らせる脳!

スポーツ選手を始め、勝負の世界で生きている人々の中には、『ルーティン、ジンクス、ゲン担ぎ』などを大事にする人が多い。

 

「これをやると調子が良かった」、「これをやったら勝てた」、などの記憶が強いことがキッカケかもしれない。

 

これらのことは、小さなことにこだわり過ぎてると見る意見と、小さなことへのこだわりが大事と見る意見に分かれる。

 

小さなことにこだわる人の記憶にあることと、実際に得られる結果の間に、関係があるかないかに思いを巡らせると、超能力と似てるなと思えてくる。

 

これをやると勝ちを引き寄せられると思えることは、ある種の予知能力と言えるのかもしれないと思えてくる。

 

超能力の一部には自己暗示があるような気もする。

 

 

このように考えると、超能力は限りなく占いと重なるように思えてくる。

 

占いというジャンルは、統計学に広い意味での科学や心理学が織り交ぜられていると言われる。

 

広い意味での科学の中には、心霊現象やオカルトの類も含まれる。

 

このように考えていくと、超能力や占いは、それを信じるという意味で脳が果たす役割が大きいことに気付く!

 

 

脳って簡単に誤解するもの。

 

だから脳は、簡単に騙され、錯覚を起こす。

 

脳が誤解すると、脳の持ち主は戸惑い、そんな脳の誤解と自身の戸惑いを中和するために、“架空の超能力をデッチ上げてつじつま合わせを行う”という作業を脳内で瞬時に行うが、こういう現象は珍しいことではなく、脳にとって日常茶飯事。

 

そんな現象をパロディにしたのがドラマTRICK

 

  

 

 

 

実際の超能力の多くは、とてつもないことというよりは、不思議なことに近い。

 

例えば。

 

 

VRや3Dなどの映像技術を支える脳の特性の一つがベクション。

 

 

 

次の事例だと誰もが経験があるだろう。

 

 

このベクションは、謂わば錯覚に近い。

 

だとすれば、超能力≒錯覚かも。

 

錯覚を起こすのは五感(視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚)だが、現代人の錯覚は最も依存度が高い視覚を通じて起こることが多い。

 

 

目眩や貧血などの症状にベクションが無関係ではないように感じられる。

 

医学的に解決したいけど解決しない体の不調には、分かってしまえばどうといことない脳の特性が原因だったということがありそうだ。

 

 

 

現代は、あらゆる産業がサービス産業化している。

 

サービス産業化が進化すると、顧客のランク付けが始まる。

 

顧客に対するランク付けは、顧客の側から見ると、価値を感じられない不必要なサービスにはコストをかけたくないという意思表示と表裏一体だが、このランク付けは視覚的に一目瞭然性があるという特徴がある。

 

飛行機に、ファーストクラス、ビジネスクラス、エコノミークラス、さらに別枠でLCCなどがあることがわかりやすい事例になるだろう。

 

 

心理学の世界では、さまざまなことを実際の人の行動を分析することで知ろうとする試みを行うことが多い。

 

「金持ちと貧乏人ではどちらが良い人か?」あるいは「どちらがモラルが高いか?」などは大きなテーマの一つだと言われる。

 

金持ちは徳があるから人望もありその結果金持ちになったと考えると「金持ち喧嘩せず」という諺のような金持ち像を描きやすくなるが、実際に調査を行うと逆の結果が出ることが珍しくない。

 

その理由として、金持ちはお金と引き換えに過剰なサービスを受けることが当たり前になってるからだという説がある。

 

 

また現代では、金持ちは法律を味方に付けて、勝てる戦いを仕掛けることが増えていて「金持ち喧嘩大好き」という面も出ている。

 

 

人間は、自分が属する環境で、その環境に応じた行動や振る舞いの基本を身に付ける。

 

格差社会の現代では、金持ちがお金と引き換えに手に入れる“ことやモノやサービス”が超能力で得てるかのように感じている人も多いかもしれない。

 

そして、当の金持ち本人もそのことを意識してるかもしれない。

 

お金も超能力と言えそうだ。

 

心理学が関心を持つ金持ちと貧乏人の生態(価値観)の違いには、絶対的な正解は存在せず、常に超能力と錯覚のせめぎ合いが行われている。

 

超能力も錯覚も脳が生み出すと思えてくるが、果たして脳に騙されているのか、それとも騙されているのは脳なのか、人間は常にそんな脳に踊らされている。