正しく判断するには情報が不足する時、人が発揮するのが補完力。
補完力は、創意工夫のための想像力であり推理力でもあり仮説の構築力でもあるが、誤解や錯覚の元でもある。
補完力の中でも脳が勝手に補完する癖は、手品やマジックのタネにも利用されるように、誤解や錯覚であっても補完した情報の方を信じる気持ちの方が強いという場合がある。
事実関係を正しく捉えようと場合には補完力は必ずしも良いとは言えないが、映画やドラマや小説など情緒的な鑑賞をするためには感情を大きく盛り上げるためには役立つ。
アナログからデジタルへシフトし、デジタルテクノロジーが進化すると、人は自らが持つ補完力を評価しなくなった。
評価しなくなったのは必ずしも当てにならないからで、二言目には『エビデンスはあるのか?』と言う人が増えたことでも分かる。
補完力が衰えた人には情に訴える話は通じないので、騙されないという意味では良いことだが、良い意味での感動を感じることも減ってるはず。
不満や物足りなさを感じてるからこそ生まれるのが補完という意識だが、補完に完成度を求める気持ちが強いと補完力は失われる傾向が強い。
それは、自分でなんとかするというよりも、自分の外側に答えを求めるからだ。
自分の外側といってもリアルな知ってる環境よりも、自分の知らない世界や人間関係に活路を求めることが増えたのはデジタルテクノロジーが発達したらだ。
デジタルテクノロジーの発達によって本当は持ってるはずの補完力を失っている人はどんどん増えているだろう。