何かと格差が話題になるが、誰しもどうせ格差が避けられないならば、少しでも上に位置したいと望むだろう。
過去30年、日本人はそう望みながら格差の下位に甘んじざるを得ない生き方を強いられ続けてきた。
そんな30年とは、どういう30年だったのか?
1980年代
— 株吉 (@cischaba) May 7, 2019
「日本の製品は世界一」
1990年代
「同じ値段なら品質は日本が世界一」
2000年代
「小型化技術や安全性能なら日本が世界一」
2010年代前半
「製品に使用の部品は日本のものが多い」
2010年代後半
「あの製品や技術は日本が発祥」
2020年代
「日本には四季があり水道水が飲める」
悩みのほとんどは人間関係に行き着くという説がある。
この30年での人間関係を象徴する話がある。
学生時代の知人がア厶ウェイ始めたので今後一切連絡してくるなと伝えた1年くらい後にその知人から「友達ができると言われてア厶ウェイ始めたのに友達が誰もいなくなった」って泣きながら電話があって、そっか、大変だね、でももう二度と連絡してこないでねって答えた。なるほど地獄だな、と思った。
— ブライアンさん (@static_int) May 8, 2019
人間関係を金に変えることを目的にしたビジネスはたくさんある。
日本の保険業界(特に生命保険)はその典型だが、この30年に目立ったわけではなくその歴史は第二次大戦後からだ。
格差の拡大の背後には、多くのビジネスが露骨に人間関係を利用するようになったことが無関係ではない。
親戚を含めた知人や友人などをお客にした後に、その人たちが繋がってる人を紹介してもらい輪を広げようという戦略で、受け身で話を聞いてると耳心地の良い話が展開されるが、最後は人間関係を壊して終わるのは、実現しない話をしてるからだ。
マルチやネットワークと呼ばれるビジネス形態は、商品自体には何の問題もないことがほとんどなので詐欺として立証しづらいので、「こんなはずじゃなかった」と思った人は泣き寝入りするしかない、世間的には『頑張りが足りなかった』や『最初から分かってただろう』と言われるだけだ。
マルチやネットワークが割りが悪いとは知っていても、関わる人が後を絶たないのは当事者の多くはほぼ別に自分のビジネスを持っているので、自分のビジネスへの誘導を目論むという下心があるので「バーター取引」のつもりで契約するが、このパターンは多くの場合「ミイラ取りがミイラになる」のは元を取ろうという気持ちが災いするからだ。
当初は、「頑張ったら儲かるかも」というのが主要な動機だったが、いつの頃からか、「友達が増えるかも」が動機になっている。
人間にとって『友達』はかつて必須の栄養素だったが、格差の拡大で『劇薬』と化し、最近では『麻薬』になったと言えるかもしれない。
格差が拡大するのとリンクして人間関係における『友達』という存在が、その定義自体を変化させているのだ。
あなたが友だちだと思っている人の半分はあなたを友だちだと思っていない : Gigazine
これらのことから、「友情」の感覚が変化しているという声もあります。ヴァッサー大学で英語を教えているロナルド・シャープ教授は「何もせずに、ただ一緒にいるという友だちは今や『失われた芸術』なのです。人々は人間関係の効率を最大化することに夢中で、何が友情なのかを忘れています」と語りました。なお、シャープ教授は友人関係を「相手を理解するために時間を割き、自分を理解させることに時間を割ける人々」と定義しているそうです。
また進化心理学者のロビンI.M.ダンバー教授は「人の友情はピラミッド状になっている」と主張しています。ピラミッドの最上部には配偶者や親友といった、日常的に親密な関係を持っている人が1~2人存在し、次の層には強い共感や親しみを持ち、毎週関わりを維持している人が4人ほど。それ以外の人々はつながりが薄い、よりカジュアルな関係であるとのこと。そして、ピラミッドの上位に位置する人々との関係を維持するためには安定した交際が必要で、それがなければ友人は「親しみを持って接するが親しくはない」という「知人」レベルに容易に落ちるそうです。「人の時間は有限で、また人は感情的に重要な部分を持つため、強いつながりのある人間関係を持てるのは5人ほどに限られます。多くの人は『5人以上の友人がいる』と考えているでしょうが、上位5人以外の人については『極めて重要な友情』と言えないはずです」とダンバー教授は語りました。
友達という存在に振り回されるのは、金持ちであろうと、有名人であろうと、同じように発生するらしい。
長嶋一茂、父・長嶋茂雄が「踵を返すような人たち」について語った一言を明かす
すると、一茂も「親父がスーパースターじゃないですか」と語り始めた。父が脳梗塞で倒れた時に「踵(きびす)を返すような人たちも増えたわけ。人間って人気とか健康とかポジショニングが変わると、付き合いが変わる人たちがいる」と明かした。
父に「どうなの?そういう人たちと付き合うのって」と聞くと、「『そんなもんだよ』って一言で終わり」と返されたし、「だから、僕らもそうなんですよ。親父ほどじゃないけど、それでいいんだよ」と話した。
『友達』という存在が無条件に良いものだと思えるのは何歳ごろまでだろうか?
『友達』というソフトなことばは、現代では驚くような悪意を秘めてるかもしれないと覚えておいた方が良いだろう。