かつてのお昼のバラエティ番組『笑っていいとも!』の人気コーナーに『テレフォンショッキング』というコーナーがあった。
このコーナーの合言葉は、「友達の友達はみな友達だ、世界に広げよう友達の輪、『輪っ(会場を含めて全員で)』」というものだった、今となっては知らない人もたくさんいるのかもしれない。
友達の友達を、6回繰り返すと世界中の全ての人とつながってることが分かるという考え方がある。
この考え方は、ウィキペディアでは六次の隔たりと呼ばれている。
六次の隔たり(ろくじのへだたり、Six Degrees of Separation)とは、全ての人や物事は6ステップ以内で繋がっていて、友達の友達…を介して世界中の人々と間接的な知り合いになることができる、という仮説。多くの人数からなる世界が比較的少ない人数を介して繋がるスモール・ワールド現象の一例とされる。
営業やセールスの世界では、人間関係やつながりを最大限活用しようと小中高大の卒業者名簿が使われるのは当たり前だ。
自動車や保険などは、対象となる見込み客も多いが、営業やセールスとして従事する側の人も沢山いる。
これらの分野では、一人の見込み客に複数の営業が持ちかけられることは珍しくない。
そのような場合、自ずと人間関係は天秤にかけられる。
ビジネスが絡む人間関係は、ザックリと『人脈』と呼ばれ、その人脈を活かして成績が上がる人は有能だと評価される。
人脈をビジネスに活かすことに実績がある人は、有能というよりも、むしろ信頼や気遣いに裏付けられた人間関係を築いていたと言った方がより当てはまるだろう。
ところで、人脈と呼ぶか、人間関係と呼ぶか、の違いはあっても、どちらも大きく様変わりしてるように感じる。
これらの、つながりや関係性にも格差が生じてるのだ。
21世紀に入ってからは、『知ってる』という人間関係はほとんど無価値になった。
と言うのは、21世紀に評価されるのは、出した結果だけになったからだ。
結果が出る人間関係と、結果が出ない人間関係に二極分化したことで、そして大多数が結果が出ない人間関係になったことで、人間関係や人脈はジャンルとして注目されるようになった。
人間関係や人脈を活かすということは、他人に依存するということで、自力で頑張るということの反対語的な関係になる。
最近大いに話題になっていたカラテカ入江の闇営業だが、全てが人脈と称した悪しき人間関係が発端になっている。
よく知りもしない相手と、擬似的な信頼関係を演じてるうちに、言いたくてもNOが言えない関係に陥ってしまう。
中身が貧弱な『人脈』とブラックを取り巻く人間関係は共通点が多い。
芸人としての行き詰まりに直面した結果編み出したのが『人脈芸』、上手く行っても行かなくてもアクセルを踏み続けるしかないという背水の陣だったと世間の多くが思っていたことがSNSの遣り取りに溢れていた。
興味があるのは、最初は気付いてなかったが、途中から『人脈』はヤバいぞと気付いていたのかという点。
もし気付いていたなら、ブラック企業で働いていて、会社を辞めたいのに辞めれないという世間にありがちなな構図と同じであることに気付く。
つまり、人間関係や人脈が強固になると、利用する側と利用される側に役割が分かれ、その役割は殆どのケースで固定化される。
人材派遣が一足早く社会に定着し、人間関係は現在金に換算され始めたが、その後転職市場も換金対象になり始めた。
人間関係を、市場で換金するというのは今や日本のガラパゴス文化になり、ビジネスセンスのある人ほど、宝の山が隠れている事に気付くのだ。
ピンハネ手配師がこんなにおったら、そりゃあ技術や人に投資なんて動きにはならんわな。労働集約型産業が多い方が都合がいい。
— マクシム (@thksngy) November 24, 2018
最近は外国人に借金背負わせて連行してくる奴隷貿易で稼いでるらしいが、本当に卑しい人達としか思えん。
同じ日本人と思いたくない。 pic.twitter.com/Hxw7vvoXnY
GAFAを話題にしながら世界を語りつつ人を集め、集めた人を食い物にする、集まった人が食い物にされるのは過剰に期待するから。
「こうすれば良い」「これをやりなさい」など、本来は自分で考え試行錯誤すべきことを教えてもらおうとする人が増えているから市場が成り立っているのだ。
自分で考えない人や、答えをすぐに知りたがる人は、今や全てのブラックのターゲットにされている。
カラテカ入江の件は、芸能界の事件だと捉えると珍しく思えるが、事件の構図自体はありふれている。
考える(調べるを含み)ことが不足しただけで、こんなはずではなかったと足元を掬われることが増えているから要注意。