先にテーマを決めて、そのテーマに合わせて準備し、準備できると本番に取りかかる。
一通りの作業が完了すると、テーマに沿ってどれだけの完成度だったかを確認し、確認することは反省会も兼ねるので、そこで出てくる反省点は次回の課題となる。
そんな課題を踏まえて次のテーマが決まる。
結果を求められる現代では、結果を先にイメージすることが重要になるので上記のようなプロセスを経ることが当たり前になる。
テーマ通りに完了することがベストとされることは、実は予定調和そのものでもある。
一般的には、予定調和は退屈でつまらないと解されてるが、多くの人は自分が日々予定調和を目指しているとは気付いていない。
テレビ番組が面白くないと言われる理由はここにあるだろう。
番組を制作する人々は、実にさまざまな制約を受けながら番組を企画しなければいけない。
それは電波の公共性やテレビ局としてのコンプライアンスとしての制約であり、さらにそれ以上に民間放送であればスポンサーへの、NHKならば政府与党への配慮や忖度が、企画の段階から求められている。
それに対してYouTubeのように自由投稿型のチャンネルでは、テーマは設けても結果はどうなるか分からないという作りになる。
レビュー系のものだったら、テレビでは良い点しか伝えないだろうし、大して良くもないのに良さそうに伝えたりするが、YouTubeだと欠点もハッキリ伝えることができるし、他の類似品との比較も露骨に行える。
出来上がって投稿される作品には度が過ぎる悪ノリも多いのかもしれないし、予定調和やパクリも多いだろうが、それなりの人気と需要がある作品は予定調和を目指してはいない。
テレビがほぼ全て結果が予定調和(例外はスポーツなどの中継)なのに対し、YouTubeは玉石混交だから発掘する楽しみがある。
予定調和型でなければ、どういう結果になるのかを知りたい楽しみたいと思えるものが多い。
テレビ番組と違い、配慮や忖度が発生するとしても、具体的な誰かへの配慮や忖度ではなく、漠然とした視聴者や世間への配慮や忖度であり、これは一般的な常識に基づくマナーや礼儀作法に留まり、利害への配慮や忖度ではない場合がほとんどだ。
テレビ番組とYouTubeを比較すると、完成度という点では圧倒的にテレビ番組が上だが、その完成度が予定調和と一体化してることが感じられる時につまらなさが出てくる。
プロの役者による演劇は、虚構の世界を虚構と知りつつ高度な予定調和を楽しむもの。
対して、子供の学芸会は同様に虚構の世界かもしれないが、虚構を越えた現実や真実が感じられる、その理由は予定調和のレベルが低いからだ。
役のキャラクターではなく、演じる子供のキャラクターが出ることは、完成度を求める目線では不合格だろうが、臨場感や感情移入を重視するなら合格点が付く。
子供は思い通りにならないから楽しめるのがはじめてのおつかいなのだが、最近はそこにも疑問の目が向けられている。
はじめてのおつかい は
— 寝落ちミカン (@Orange_Latria) 2018年1月8日
明らかに不自然な大人たちが尾行してるのに子供達が特段動じずに予定調和の如く振る舞う辺り
子役か、子役候補の地上波デビュー戦かオーディションの様子か何かなのではないかと思ってしまう
純粋な気持ちで見れそうにないのでチャンネルを変える
はじめてのおつかいという、大人によって仕組まれた予定調和な子どものプログラムが嫌い
— 佐久良 (@skr_0092) 2019年7月15日
予定調和が恐れるのはミスマッチだ。
全てが予定調和に収束する傾向がある中で、意表を突こうと思うならば恐れてはいけないのがミスマッチ。
私たちが持ってる常識は、予定調和に汚染されている。
無意識のうちに予定調和に迎合しようとするだろう。
そんな時は、ミスマッチを意識すると良いだろう!