勝負の世界では勝つためにあの手この手が駆使される。
勝つために相手を上回ろうと努力し、そして時には相手の足を引っ張ろうとする。
そんな勝負の世界の中の一分野であるスポーツに焦点を当てて見たい。
相手を上回ろうとするための努力は、第一番目に体力や技術の向上に向けられる。
相手の足を引っ張るための努力と自分を高めるための努力は表裏一体で現在では境目があいまいになってしまったが、大前提となるイコールコンディションで競い合うために設定されたルールの盲点を狙うことも努力の対象になってしまう。
オリンピックで必ず話題になるドーピングも、ルールの盲点を突こうとするもので、建前と本音は薬物の効能の発見とと検出技術の向上のいたちごっこの繰り返しから伺い取ることができる。
このドーピングが体内で作用するものであることに対して体外で作用するものとして身に付ける装備品もドーピング的な役割を果たすことがある。
ランニング競技の多くは順位を競うだけでなくタイムも競争の対象になる。
サッカーやラグビーのような競技も激しく走ることが求められるが、ランニング競技の走りとは走りの質が全く違っている。
ランニング競技の走りは、均一な走りの連続という特徴があり、他の競技に比べてそこが盲点になる。
うわさはあったが、やっと事態が動き出したようだ。
ナイキの厚底シューズ禁止と英報道、過去の記録は残る見通し/陸上
デーリー・テレグラフ紙(電子版)は世界陸連の専門家による委員会が検証し、底の厚さに制限を加える規則を設けることになったと報道。現在人気を集めているモデルはトップレベルでは使用が禁じられるとした。タイムズ紙(電子版)によると世界陸連は既に出された記録については抹消などはしない見通し。
水着のレーザレーサーの二の舞を感じる人も多いだろう。
そして2010年1月にFINAは競泳水着の規定の変更を最終決定した。これにより、水着の布地は「繊維を織る・編む・紡ぐという工程でのみ加工した素材」に限定され、水着が体を覆う範囲も、プール競技では男性用は臍から膝まで、女性用は肩から膝まで、オープンウォーター競技では男性用、女性用とも肩から踝までに制限された。
ランニング競技でシューズに注目するようになったのはいつ頃からなのだろうかと検索すると?
スパイクシューズが誕生したのは1895年。
『どうしたらもっと速く走れるだろうか?』というイングランドの一人の男性の興味から生まれたとある。
彼がスパイクシューズを使って駆け抜ける様を見た多くのスプリンターが同じシューズを作ってくれと依頼。
そうして誕生したのが現在のリーボックの前身であるJ.W.フォスター社。
その後スパイクシューズは普及し、メーカーも増え、シューズの競い合いが始まったが、さらにスパイクの食いつきを良くするためのトラックづくりにつながって行った。
当初のトラックは土やアンツーカー(レンガを砕いたもの)。
1960年代になると、全天候型として合成ゴムやポリウレタンで覆われたトラックが登場するようになった。
このトラックの作りの変更もその後のシューズには大きな変化を与えるとともに、選手としてのランニングの適性にも大きな影響を与えることになったはずだ。
1964年に100mの日本記録を出した飯島 秀雄さんはその脚を買われてプロ野球に入ったが、期待されたほどでもなく引退した、2017年8月27日放送の「消えた天才一流アスリートが勝てなかった人大追跡SP」(TBS)で陸上界から去った理由としてこう言っていた(わたしもテレビで見ていた)。
「自分の走法は土のトラック専用で、メキシコ五輪から導入された合成ゴムのトラックには合わないから」
ドーピングにしろシューズにしろ、そのおかげで記録や勝ちが得られているとしても、それだけで誰もが勝てるわけではないのだが、勝てる理由は努力などとは別の、合う合わないが関係してるようにも感じられる。
だとすれば、努力の方向性は合わせることに向けられるべきだとも言えるかもしれない。
クルマの世界が好きな人だと分かりやすいが、速さの限界はタイヤの限界で、どんなにパワーがあってもそのパワーをタイヤが受け止めきれなければ路面にパワーは伝わらない、速く走るという意味での上手な運転とは限られたパワーを確実にタイヤに伝える技術なのだ。
そう考えると、タイムとしての走りを決定付けているのはシューズとトラックのように思えてくる。
ランニング競技のタイムの短縮の歴史を見ると、人間の体力や能力が大きく進化したように感じられるが、本当は昔の人に現代と同じ環境や道具を与えたらもっと良い記録が出るのかもしれないし、現代のトップ選手に昔の環境と道具を課したら記録は平凡なものなのかもしれない。
現代のランニング競技でタイムの更新が著しい種目の主人公は、もはや人ではないのかもしれない。