違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

新たなルネッサンスが始まる予感を『欲望の資本主義2020』を見て感じた!

ドラマから垣間見える世相や風潮がある。

 

 

1月期ドラマ「医療もの6本乱立」で視聴者のドラマ離れが加速?

この状況をドラマウオッチャーの晴川日月奈氏はどう感じているのか。

 

「各局がラインナップをギリギリまで公表しないから、企画がある程度重なるのは仕方ないとは思います。でも根本的な問題は、医療ものか警察ものを作っておけば大きく失敗することはないという、制作サイドの考え方にあるんじゃないかと思います」

 

特に医療ものは漫画原作も多く、企画が通りやすいという。

 

「医療監修の方から実際のエピソードを聞けるので、ストーリーも作りやすい。さらに病院のロビーは休日であれば撮影が可能。病室や手術室はセットで簡単に再現できる。室内シーンが多いので天候に左右されず、スケジュールも組みやすい。

そもそも、視聴者受けがいいから、視聴率もそこそこ期待できる。そういう思いを持ったプロデューサーさんが、今期たまたま多かったのかもしれませんね」

 

 

国によって、あるいは、自分の属する環境や境遇に拠って多少の違いはあっても、大きな流れで生じるその時代の世相という空気に、知らず知らずのうちに操られているのが私たちなのかもしれない。

 

 

 

 

昨夜寝る前に録画していた再放送番組を見た。

 

 

 

 

この数年NHKが新年に同じタイトルで特集しているシリーズだ。

 

欲望が欲望を生む現代。

 

評価を求めながら、評価から逃れたいとも望むようになっている。

 

 

冒頭の医療系ドラマの乱立の背景にもそれが感じられる。

 

医療系ドラマが乱発される背景には、作り手からすると自由度の高さが上げられていた。

 

自由度が高いとは、生産性が高いや効率が良いと似ていて、費用対効果という観点で評価の対象になりやすく、受ける制約が少なくなる。

 

受ける制約が少ない方に流れて行きやすいのが現代の特長なのだ。

 

受ける制約が少ないことが自由と解釈されている。

 

 

昨年の『欲望の資本主義2019』では次のようなことばがあった。

 

 

個人が国家の考えに左右されない自由こそが真の自由か?

 

全ての悪を消そうとすれば、多くの善も消える(トマス・アクィナス)

 

 

本来の「自由」とは、自らの「イメージ」を作り出せる可能性のことで、できることはその方法を見つけ続けることだけ。

 

 

 

今年の『欲望の資本主義2020』では、暴走する自由がテーマだった。

 

現代資本主義の最大の功労者であり戦犯がハイエク。

 

ハイエクのことば

 

 

前年の2019年でも指摘されていた。

 

今という時代は『自由の罠』に陥っている

 

技術に人間が仕えてはいけない

 

『自由』の最高の擁護者はハイエク

 

わたしの好きな経済学者水野和夫さんは、資本主義で豊かになれるのは全体の15%だから、資本主義とは15%クラブだと言っている。

 

1870年から2001年までの130年間は、高所得国の人口シェアが、ずっと15%で推移している。先進資本主義のグローバリゼーションとは、先進国の15%の人々が、残りの85%から資源を安く輸入して、その利益を享受してきた。言い換えると、地球の全人口のうちの約15%が豊かな生活を享受することができた時代である。この15%は、ヨーロッパ的資本主義を採用した国々で、当然アメリカや日本もそこに含まれるが、日本の「一億総中流」が実現できたのもこの時代

http://gendainoriron.jp/vol.03/feature/f05.php

 

 

しかし、急速に進んだグローバル化のせいで世界から残り85%が無くなってしまったのだ。

 

国家レベルで捉えると資本主義が成り立たないので、個人単位で評価するように移行し、豊といわれる国の中でも個人単位で見ると大きな格差が出来つつあるのが今なのだが、これで維持することも遅かれ早かれ行き詰まるのは目に見えている。

 

この行き詰まりは、一方向だけを向き続けた自由がもたらしたものだ。

 

本来の自由は、どこに向かおうとかまわなかったはずなのに、一方向にしか向かわなかったために急速に行き詰まっているのだ。

 

水野和夫さんは、「地理的・物的空間」が行き詰まった後に活路を求めたのがITと金融を結びつけた「電子・金融空間」だと言っている。

 

水野和夫さんのこの主張は2014年の著書でされたものだ。

 

 

それから5年以上が経過した現在。

 

 

この流れの延長線上に「仮想〇〇」が出てくるのは極めて当然で、自由が生み出してることが分かるが、もはやアイデアとしては陳腐としか言えないので、何をやってもすぐに行き詰まりを迎えるのは必至だ。

 

『欲望の資本主義2020』では、明確な答えは示されなかったがその終章では、ノーベル経済学賞を取ったジョセフ・E・スティグリッツが次のように言っていた。

 

「30~40年後にどんな経済や社会を実現したいか――日本には非常に偉大な知性がいましたよね。私の先生の宇沢弘文氏です」

 

水野和夫さんも宇沢弘文さんを評価して次のように言っている。

 

宇沢弘文は経済学者の枠には収まらない。思想家と呼んだほうがふさわしい。ある時宇沢は「本来は人間の幸せに貢献するはずの経済学が、実はマイナスの役割しか果たしてこなかったのではないかと思うに至り、がく然」とし、そして確信する。「経済学は、人間を考えるところから始めなければいけない」

https://allreviews.jp/review/379

 

 

宇沢氏は晩年次のように言っていた。

 

二つのツイートを紹介、リンクされてる記事は同じもの。

 

 

 

 

 

行き詰まった時に起こるのがルネッサンス。

 

資本主義というのは中世のルネッサンス以降に始まっている、中世のルネッサンスが始まる前の時代は暗黒時代と呼ばれ、それを打破するために人間回帰として文芸に活路を求めたのがルネッサンスだ。

 

行き詰まった資本主義が、新たなルネッサンスを生み出しても不思議がない条件が揃いつつあるような気がしてくる。