違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

社会浄化のパラドックス!

コロナ騒動を読み解くキーワードとして急浮上してるのが社会浄化だ。

 

コロナは社会浄化の作用が強過ぎるために諸刃の剣となって、浄化の対象ではないはずの人も犠牲にしてるが、あくまでも歴史的な位置づけとしては浄化のために存在してるかもとも思えてくる。

 

 

 

 

コロナの犠牲になる直接の要素が3密(密閉、密集、密接)や免疫力の低下に感じられる。

 

そして、最も怖いのがコロナ対策として行われている自粛を中心とする政策で、自粛のために社会に成立していた循環を一時的とはいえ断ち切らせていることだ。

 

大きな観点から捉えると意義はあるかもしれないのは、テレビ東京の『池の水全部抜く大作戦』を思わせるからだ。

 

  • 在来種の絶滅を防ぐために外来種を駆逐するため

 

  • 水質が悪化しヘドロが堆積してる池の底にも空気と太陽光を届け環境を再生するため

 

 

このような理屈にとどまる限りは良いことに思えるが…。

 

 

どうも、コロナ対策として打たれてる施策には、これを機に社会浄化を図りたいという意図も感じられる。

 

天災が人災にシフトすることは日本のお家芸でもある。

 

最初にやり玉に上がったのは夜の街だった。

 

政治経済の世界には清濁併せ呑むという側面があるが、その濁の部分は夜の街で生まれることが多いというイメージがある。

 

 

渋谷の老舗バー、遅すぎるコロナ補償に悲痛な叫び「3月末で全てガラッと変わってしまった」

 

〜〜以下引用〜〜

 

今回のコロナ禍は、「夜遊び」のあり方そのものを変えてしまうのではないか……という気もしています。

2000年代から、バーで格好をつけてお酒を飲むような空気は終わりつつあるのかもしれないと気づいていました。それがリーマン・ショックや震災以降に決定的になりました。

昭和から引き継いだバブルの残り香のような雰囲気で、高級なシャンパンやワインを楽しむよりも、ラフな格好でハイボールなどを楽しむ飾らない空気感が好まれてきました。

そもそもお酒を召し上がらない方も増えていますし、ノンアルコールの需要も増えています。タバコを吸われない方も増え、うちも店内を禁煙にしました。

お客さんの層も、かつてはマスコミや広告業界、ミュージシャンやファッション業界の方が多かったですが、最近はIT企業に関係する方たちが増えました。

これも時代の要請かと思っていましたが、そこへきて今回のコロナ騒動です。

 

〜〜引用ここまで〜〜

 

 

 

 

 

 

 

社会浄化は、国際的なビッグイベントが開催される前に行われることが多いので、オリンピックイヤーだった今年はコロナが無かったとしても、東京を中心とした首都圏では行われていても不思議はないので、計画はあったと考える方が自然だろう。

 

 

この社会浄化には、世論の賛同も必要になるので、分かりやすい象徴的な悪を演出する必要がある。

 

そこに、案の定出てきたのがパチンコだ。

 

 

 

 

そして、これまた分かりやすい反応が出るのだ。

 

 

 

 

自粛を強いられ我慢してる世間の多くの人は、きっと社会浄化を強く望むようになるだろう。

 

 

ところで、コロナの怖さをどう捉えるかという問題がある。

 

岡江久美子さんや志村けんさんのように発症後急速に死に至る方には、免疫面に弱点があったことが分かってきてるが、それと同じかそれ以上に怖いのが、感染後軽症で回復した人たちだ。

 

コロナは、一回感染すると症状は治っても、あるいは無症状であっても、体内(臓器)に時限爆弾が仕掛けられたようなものだとする説も出ている。

 

数年後に、原因不明の臓器不全が発生することを指摘するような話も出ている。

 

昔、マンガで流行った3年殺しや7年殺しが思い出される。

 

 

実はこのような時限爆弾が、治療に関してもあるのだ。

 

 

一時重体に陥ったと伝えられる石田純一さんを劇的に救ったとされ注目されるのがアビガン。

 

 

 

 

石田純一さんの場合は重体だったので、アビガンの使用はリスク覚悟で適切だっただろうが、最近は予防的にアビガンを使いたいという声も出てる。

 

 

 

 

アビガンの開発者の説明が以下のリンク。

 

 

緊急寄稿(2)新型コロナウイルス感染症(COVID-19)治療候補薬アビガンの特徴(白木公康)

 

 

アビガンが有効ならばありがたい話だが、リスクをどう捉えるかで受け取り方は変わるし、石田純一さんのように猶予がなければ藁にもすがる思いになるだろう。

 

 

 

もし、今起きている社会現象が社会浄化だとすると、コロナは社会全体に処方された劇薬となる。

 

劇薬が劇薬たる所以は、硫酸や塩酸のように使用者にも取り扱いのリスクがあるからだ。

 

コロナが人為的な産物であろうが自然由来であろうが、人間に降りかかる問題として捉えると医学の問題であり政治の問題になるので、劇薬の使用責任者は政治(家)になる。

 

 

政治家はなぜコロナに罹らないのか?、という指摘は多い。

 

予防的にすでにアビガンを使ってるのではという噂もある。

 

事の真偽はともかく、劇薬をコントロールしてるつもりの側にも、劇薬は牙を剥くかもしれない。

 

 

受注4社目、なぜかかたくなに公表拒否 妊婦向けアベノマスク、深まる疑念

 

 

隠す必要があるとは思われないことですら隠されていることが分かってくると、浄化が進む背後で浄化されずにいる汚染部分が見えてくる。

 

目立つ汚染はまだ多数ある。

 

その汚染部分の汚染を守るために周辺の浄化が行われているのかとすら思えることもある。

 

社会浄化と極めて似てることに自然淘汰がある。

 

他の言い方をすれば、弱肉強食や適者生存もある。

 

『清濁併せ呑む』の反対には、正義が勝つというのがあるが、何が正義なのかが重要になる。

 

正義とは何か、このシンプルな問いの答えは、人の数だけあり、その時の気分でコロコロ変わるものなのかもしれない。

 

 

今進行中なのがコロナという劇薬を使った社会浄化だとすると、浄化された後に何が残るのか?

 

 

社会浄化とは、人間の断捨離なのか?

 

 

本当に自然現象として起きているならばそれは神の意思になるだろう。

 

一握りの支配層の思惑で動いているならば、その思惑を読み乗っかることは意味があるだろうが、劇薬は思惑と裏腹な作用を及ぼすこともある。

 

もうしばらくしたら、その辺も見えてくるのかもしれない。