違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

知床でも感じる『またもやコンサルか!』

ウクライナでの悲惨かつ残忍さ以上に日本人を不快にさせているのが知床での観光船沈没事故。

 

まだテレビ等のニュースや報道では憶測の域を出ないからだろうが、悪の張本人は観光船会社の社長になってるが、多くの人がご存知のように(知らない方は検索すれば多数出ます)、社長が心酔していたコンサルがいたことが話題になっている。

 

 

関係者には共犯意識という自覚があるようで、あまりにも分かりやすい香ばしい行動を取っていることが伺える。

 

 

また別件だが、この社長が経営する旅館宿泊業に絡んでも過去にとんでもないことが起きていたと伝えられている。

 

 

 

 

これまで大きな話題にならなかったのが不思議なくらいだが、逆に考えると今回の沈没事故はたまたま起きたことではないことが想像できる。

 

社長一人の人間性に起因したというよりも、コンサルと一体化した合わせ技で起きているのだ。

 

コンサルとは、成功すればコンサルの実績となり、失敗するとコンサルの失敗ではなくコンサルに従った会社の失敗となる。

 

つまりコンサルは無責任体質の上に成り立つのだ。

 

多くのケースで、コンサルが推進しようとすることは現場の人からは嫌がられる、厳しいからではなく、頓珍漢な的外れだからだ。

 

しかしその方針は、現場を知らない、知ろうともしない会社経営者には耳心地が良いのか魅了されることが多いようだ。

 

いつの頃からか、何事も自己責任と言われるようになったが、これはコンサルの誰かが裏で糸を引いて免罪符として意識を植え付けたと考えると妙にしっくりくる。

 

自己責任を押し付けられるのは、常に弱者や末端だし、大企業と戦う中小企業であり、中央に対する地方だったり、官に対する民だったりだ。

 

ところで、今回の件に関しては親が親なら子も子という話も聞こえてくる。

 

 

 

親が親なら子も子が成り立つ場合、親の存在はまさにコンサルそのものだろう。

 

 

知床での沈没事故は、二人のコンサルに洗脳された愚かな経営者が導いた、起きるべくして起きた事故だと思えてくる。