Twitterはおもしろい。
Twitterは勉強になる。
三人寄れば文殊の知恵を実感できることがある。
昔から博士号は足の裏についた米粒と同じっていわれてますからね。取らないと気になるけど取っても食えないと
— たむらはん (@tamuuuuuu) 2022年5月2日
このツイートは次のツイートに対する返信で、おそらく主旨には賛同してると感じられる。
東京大学の大学院生の間でも言われていたのが「博士課程まで進むと就職が無くなる。研究職しかなくなる。研究職は貧乏確定💦博士課程まで行くと企業からは扱い辛いらしい。だから修士で逃げるのが正解」でした。こんな国からイノベーション生まれるわけ無いでしょ?
— Dr.ひろ (@hirokimdphdmba) 2022年5月2日
足の裏に付いた米粒と聞いて思い出したのが、靴で歩いていて落ちてるガムをうっかり踏んだ時のこと。
汚いということよりも、勝手に取れてくれないし、付いたままだと意外に抵抗が大きくて歩きにくいことが気になるから、何とかして取ることになる。
博士号に限らず、人間の執着心の多くは抵抗の大きさから生じる摩擦熱のようなもので、熱いから熱意があると思い込んでしまうのは錯覚なのだろうなと思えてくる。
改めて検索すると2016年に次のようなツイートがあった。
この話が語り継がれてることが感じられた。
私は学位を「足の裏の米粒」ではなく、「靴底についたガム」と呼ぶことにしている。とっても食えるものではないが、とらないと足が止まるし、とることで歩みがスムーズになる。
— 森下元賀 (@ptmotoyoshi) 2016年3月22日
別のことで例を探してみようと思い、思い出したのが特許だ。
日本ではかつて一般人がアイデアをなんでもかんでも特許にするということが流行った時期がある80年代から90年代にかけてだと記憶している。
特許を取って億万長者になろうと本気で言ってる人が身近にいたこともある。
その知人は、車内に付けるカーアクセサリー的なもので特許を申請し、特許を取った暁にはカー用品メーカーにその特許で商品を提案して億万長者になるんだと張り切っていた。
80年代後半の90年になる直前の頃で、弁理士に60万円支払ったと言っていたことを思い出した。
もしかしてと思い、特許や実用新案や著作権に関する本を読んだことがあることも思い出した。
結局、わたしは本を読む以上には行動はしないうちに冷めていた。
今にして思うと知人は弁理士に踊らされていたんだろうなと分かるが、夢を描けていたのも事実だ。
60万円で、脳内夢実現映画の主人公の役をゲットしたのだと思うと微妙だが妥当にも感じる。
煩悩と夢はほぼ同じで、それは足の裏の米粒であり、靴の裏のガムなのだ。
だから取らずにはいられないのだ。