違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

ChatGPTは自ら問いは立てられない

話題になってるAIのChatGPTだが自分には関係ないなと興味を感じなかった。

 

積極的に知ろうとはせず、日常生活の中でなんとなく目に入る程度の情報での先入観で、従来より高度な検索ができるAIという程度の認識だったが、次の見出しが目について記事を読んだ。

 

 

ChatGPTは日本の司法試験に合格できるか 弁護士ドットコムが実験 

 

共同通信の報道によると、米医療企業の研究チームが、ChatGPTに米国の医師国家試験を解かせてみたところ、正解率は52~75%で、合格ラインとされる60%前後に達しました。

 

 

 

そんなChatGPTに、令和4年司法試験民法択一試験全37問への回答をさせた結果は?

 

結論から言えば、正答率は30%。合格最低ラインと言われる55%をはるかに下回り、足切りラインと言われる40%にも到達しない残念な結果となりました。

 

 

記事にはそのような結果になった理由として、日本の判例は全文が公開されてるわけではないので検索が不十分だからとあり、実力が低いわけではなさそう。

 

 

一時期盛んだったチェスや将棋や囲碁での人間vs AIのように遅かれ早かれ人間を上回ることはただの予定調和にしか思えない。

 

 

しかし、AIも元は人間が作ってるという意味ではやはり人間の域を出ないのかもしれない、ChatGPTだってそうかもと感じさせるツイートがあった。

 

 

 

 

 

私たちが勉強と称して取り組むことのほぼ全てには正解がある、逆にいうと正解が分かった上で問いを設定し、その問いから正解を導くという作業を勉強と称して取り組んでいる。

 

その姿を改めて想像すると、人間は賢いのかバカなのかが分からなくなる。

 

もう、正解が分かってることに人間が取り組むことはただの不毛だと悟る時期なのかもしれない。

 

それよりも大事なことは、答えが分からないことに取り組むことや、問いが何なのかすら分からないことに疑問を感じるセンスを養うことなのかもしれない。

 

そのような作業をするためには、そのような作業を楽しむためには正解を競うような文化を捨てることが必要かもしれない。

 

正解を高度に出せる人は高偏差値で優れた人だと位置付けられるが、彼ら彼女らからは正解しか出てこないという意味では究極の凡人に過ぎないのだ。

 

日本がガラパゴス化しイノベーションと無縁であることと密接に関係してるはず。

 

ChatGPTって所詮偏差値の高さを極めた日本人と同じなのかもしれない。