違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

『すいません』より『すみません』、多様化するから許されないこと!?

昨日、反面教師にして頂きたい出来事ごとがあったのでブログにします。

 

わたしは、ブログで他人のツイートを引用することが多いが、その一つにクレームが付きました。

 

わたしにそんなつもりは無かったのですが、ツイート主はdisられたと感じたようでした。

 

ツイートを削除した後でお詫びしました。

 

そして、このお詫びにもクレームが付きました。

 

 

その辺の話を書きます。

 

皆さんも自分なりの答えを持った方が良いのでしょうが、わたしは公開されてるツイートの引用(埋め込みやスクリーンショット)は自由度が高いと理解しています。

 

クレームが付くようであれば削除すれば良いという程度に考えていました。

 

この考えは今も変わっていないのですが、そもそもなぜツイートを引用していたかというと、ツイートを引用すると『三人寄れば文殊の知恵』を感じられるからとともに考えの多様性が表現できると思っていたからです。(自己満足です)

 

ツイートの内容を、わたしのことばに置き換えると面白くないし臨場感に欠けると思っていたからです。

 

今後は引用するツイートに関しては内容は少し慎重になりたいと思います。

 

 

ところで、クレームに対しての返事を「不愉快な思いをさせてすいませんでした。削除しました。」と送りました。

 

この返事を送る時に、「すいません」と「申し訳ありません」のどちらにしようかなと考えて、「すいません」を選んだのですが、この「すいません」に再度クレームが付きました。

 

謝罪するなら「すいません」ではなく「済みません」でしょうと。

 

これに対しては返事はしませんでしたが、わたしには大して違わないように感じられたので検索して調べると、しゃべり言葉の場合は「すいません」でも「すみません」でも構わないが、書き言葉の場合は「すみません」が良いと出てくる。

 

そして、「すいません」は西日本の人が使うことが多いとも出てくる。

 

 

ここまで分かったところで、「すいません」でTwitter検索をすると、膨大なツイートが出てくる。

 

大多数の「すいません」は謝罪というよりもカジュアルな挨拶みたいなものが多いのだが、わたしのように謝罪の意思が感じられるものも含めて、1〜2秒に1回は「すいません」というツイートが発されていた。

 

この一連の作業をする中で、「すいません」という言葉は少し安っぽい感じがするなと思えてきました。

 

 

確かに、「すいません」より「すみません」の方が間違いが少ないだろうなと思えます。

 

 

皆さんも、謝罪する時は「すみません」を使いましょう。

 

 

 

今回の件で、思い出した話題があります。

 

「触らない痴漢」 決め手は女性側が不快と思うかどうか

取り締まりの強化、女性側の意識の変化で痴漢が減っているのだろう。しかし、そうした動きが、「触らない痴漢」という“新たな犯罪”を生み出している。女性の自己防衛に詳しい安全生活アドバイザーの佐伯幸子氏が言う。

「昨今の自己防衛の高まりで、触られた場合だけでなく、危険を感じたり、不快に感じた時点で『痴漢です』と訴える女性が増えているようです」

 

 

大阪府警も、公式ホームページで〈盗撮、のぞき見、いやらしい言葉や行動などで、恥ずかしい思いや不安を感じさせることも、ちかん行為の一種です〉と呼び掛けている。

「決め手になるのは触ったかどうかではなく、女性側が不快だと思ったかどうか。たとえ電車内で体が接触していなくても、女性に不快感を与える言動をしていれば痴漢容疑をかけられるかもしれません」(前出・佐伯氏)

 

 

ナイーブ過ぎる被害妄想だと思う人もいるだろうし、その通りだと感じる人もいるだろうし、そう思うことに男性か女性かは関係ないかもしれない。

 

このような場合の意識や意見の違いは、当事者なのか傍観者なのかによって生じます。

 

 

現代社会には、絶対的に正しい(あるいは間違ってる)ことが減り、立ち位置によって判断が分かれることが増えている。

 

そしてさらに、その判断に許容範囲という幅が生じるので多様性が生まれる。

 

多様性とは、何でもありだと思い込むと大きな間違いを犯すかもしれない。

 

 

何でもありの隣にはいつも冤罪があることをお忘れなく!