違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

AIの敵は人間

情報のことを機密と呼ぶと、触れるのに躊躇するほどの緊張感が発生する。

 

そういう情報に接することができるのは組織内でもごく一部でセキュリティも厳しい、はずだと誰もが思っているだろう。

 

だからこそスパイ映画が成立する。

 

富士通が次のようなサイトを設けている。

 

会社と社会に責任とれますか?情報漏えい・損害賠償の重み

 

この中には、以下のような記述がある。

 

そして注意すべきはサイバー攻撃です。個人情報を持った企業だけがターゲットになるとは限りません。「踏み台」(最初にウイルスの感染源となり外部へ広めてしまう)として、標的企業への侵入口に利用されてしまうこともあるのです。この場合、「踏み台」にされた会社は被害者となりますが、加害者にもなるため、社会的な責任を問われる可能性があります。

 

 

それに対して、日本で実際に起きてる情報漏洩の実態は実はとんでもなくお粗末なのかもしれない。

 

 

 

BIPROGYによると、尼崎市との契約書では、業務の一部を委託する際は市の許可を取ると記載していた。BIPROGYが今回の業務を協力会社に委託し、協力会社がさらに別の会社に委託していたことについて尼崎市は「紛失発覚後に初めて知った」と説明している。

 

 

このようなことは、他の国では起きないのだろうか?

 

 

おそらく日本ではこのレベルのことは、霞ヶ関でも上場企業でも日常茶飯事のように起きているのかもしれないし、大臣や国会議員ですら信用できるのか怪しい。

 

偉そうに管理監督してるのは無能だが高給を取る肩書きだけは立派な安定した立場にいる人物だが、現場の最前線で実際に動いているのは薄給で立場も不安定な派遣や非正規の人物だとすると、忠誠心などあるわけないし、中には恨みを募らせてる者がいてもなんの不思議もない。

 

 

昔、銀行員が給料が高いのは、無用な金銭が絡んだトラブルの発生を防ぐためだと聞いたことがある。

 

ITの発達で表向きのセキュリティは非常にレベルが上がったかもしれないが、その裏でとんでもない盲点が発生していても不思議はない。

 

ITの時代からAIの時代へ移りつつあるが、それもこれも人間のためのはずだが、どうやら一番信用できないのが人間なのかもしれない。

 

未来を描いた映画ではAIと人間が敵対するシーンがよくあるが、AIにとって理想の未来を実現するために、排除する必要があるのは人間だと判断するのはボーッと考えてると矛盾だと感じるが、冷静に考えると極めて自然な流れに思えてくる。

 

 

AIが人間を敵だと認識するのはそう遠くないかも。