若者の〇〇離れに関するある調査によると、離れの上位は次のようだったらしい。
第1位:『ギャンブル(63.3%)』
第2位:『タバコ(60.7%)』
第3位:『クルマ(39.2%)』
第4位:『投資(36.3%)』
第5位:『お酒(30.0%)』
ある調査とは以下のリンクで2020年10月のもの。
【“若者の〇〇離れ”を大調査!】クルマを所有していない20代男女の7割以上が「クルマは欲しくない」と回答!でも本音を聞くと実は…?
さて、この調査とはとはまったく関係なく、ある広告業界の方が次のようなことを書いているのを読んだ。
わたしなりの解釈で受け取った意味合いを要約すると、
若者の〇〇離れが話題になるが、そういうことが話題になる分野の広告宣伝にはそもそも若者が参入していない、だから幸か不幸か自分のような年輩者にその役目が回ってくるし、結果として若者文化を年寄り(昔の若者)が牽引しようとする構図が出来上がっている。
自分の仕事があるという意味ではありがたいようにも感じるが、だからこそ若者の〇〇離れが起きているのかもしれない、そもそも広告宣伝というジャンルは若者こそが携わるべき業務なのだ。
この解釈が正しければ、『なるほどね、なんか納得できる』と新鮮な思いがした。
『やりなさい、しなさい』と押し付けられることが楽しめないのは当然として、CMや広告宣伝のように『これやれば楽しいよ!』という啓蒙のような形ですら押し付けがましいのが現代なのだ。
昔から定番の会話がある。
親:『勉強しなさい』
子:『今しようと思ったのに、言われたからやる気なくなった』
おそらく、趣味や遊びですらこの理屈は当てはまってもおかしくない。
それを物語るように、最近では良かれと思ってアドバイスをする人ですら教え魔と呼ばれる。
お節介や無理強いと同列にアドバイスも位置付けられているのだ。
何も知らない子供に教える教育は意味があるだろうが、ある程度以上になると、教わる側に積極的な興味や関心が先に芽生えてなければ、教えるという行為は成立しないのが現代なのだ。
逆に、こんな人は嫌だと思ってるような人が『これはおススメ』と言ったり、『これはしたほうが良いよ』ということは、『あいつが言ってるからやらない』となってるのだ。
若者発の文化に映えるというのがあり、インスタグラムとセットで世間を賑わしたが、その領域はあっという間に中年や年寄りに侵略され、最近の若者にとっては映えるはダサいとなってるらしい。
ただ、若者が知っておいた方が良い事実がある。
若者が嫌う中年や年寄りの90%以上は自分の人生は失敗だったと自覚してる。(失敗はしてても楽しめるのが人生だとも心のどこかで感じてる)
だからこそ、自戒を込めたり、昔の自分に語るような気持ちを心のどこかに少しは持っているのだ。
もし、そういうニュアンスを掴み取ることができたなら、言ってる話を少しは参考にしても良いかもしれない。