現代では、生きていく上での武器は自分が取り扱う商品であったり、商品としての自分自身だったりだ。
そして、そんな商品を買ってもらうという勝負を日々繰り広げている。
では、その商品をどのように売り込むのか?
どうやって買ってもらうのか?
多くの人が、そんなノウハウを求め続けている。
また、ノウハウを教えたり売ってる人や企業もたくさんある。
そんなノウハウについて考えてみた。
ウィキペディアでは、ノウハウは知的所有権の一種と位置付けられる比較的最近の考えのようだが、これはあくまでも日本語化された『ノウハウ』であって、古くは門外不出や極意と言われた類のものと同じだっただろう。
門外不出や極意に共通するのは、
- 他人には知られたくないことやモノ
- 教えるとしても簡単には身につかない
という、一朝一夕には身につかないとされることが多く、身に付けるためには修行や弟子入りが必要だったものが多い。
料理人の世界ならば、調理を覚える前に延々と皿洗いをさせられるようなことから始まる。
皿洗いを長期間やらされた後に、包丁の研ぎを延々やらされたり、素材の下処理だけをし続け、肝心の料理に手を出せるまでに数年かかるのが昔ながらの修行の世界。
現代の価値観からするとバカバカしく、必要があるとは思えない余計なことを延々やることの意味は何だったのだろうか?
門外不出や極意といったものは、そういう世界に付きものだった。
人間関係自体が現代とは全く違っていたのはいうまでもないだろう。
知りたいことや、やりたいこと以外のことを延々やらされることの意味は何なのか?
その意味を考えていると、一つだけ思い当たるというか、感情移入してみたくなる現代との大きな違いがある。
一人の人間が生きるということの物理的な生活圏は、驚くほど狭いことが前提で成り立っていたのだ。
人間関係も狭く、束縛が強かったはずだ。
それ故に、小さな失敗が取り返しのつかない事態を招くことが多かったと思える。
どうでも良さそうなことが大事だったのは、どうでも良さそうなことに足元を掬われることがあったからだと思えば少し納得できる。
時代が大きく変わり現代になると、生活圏は広がり、生きる舞台は世界になり、人間関係も束縛は格段に減っているはずだ。
しかし、通信の発達は瞬時に世界を繋ぐので、情報を中心に世の中を見ると、昔以上に狭い世界観が成立してるかもしれない。
人間関係も新しい関係性が出来上がっているはずだ。
期待や信頼から始まる関係性
ノウハウは『技』だと思われがちだから、そのために必要な知識や経験を身に付ける必要があると考え、あるいは教えられ、そのための道を歩み始める。
一旦歩み始めたら、その世界は一生ものだという覚悟も求められていた時代には、生じる人間関係も一生ものだと思われていた。
そんな時代のノウハウですら、ことばとして受け継がれているので、まだ現代でも生きている。
ガマンを美徳と捉えたり、いつかは報われると考えることは、不思議なことに「良いこと言ってるな〜」と思えてしまうことが多い。
時が流れ、時代が変化すると、「一生もの」だと思っていたものが消えてしまった。
そうなると、一生ものだと思っていたから受け入れていた人間関係も受け入れ難いものへと変化する。
期待は裏切られものにシフトしていったが、やがて期待が裏切られたというよりも、期待することが間違っていたと気付くようになる。
信頼できるのは自分だけ
期待できるモノや人などは無いかもしれないと気付くと、自然に拠り所は自分しかいないと悟るようになる。
そんな時代の人間関係は、利用するものであり、渡り歩く関係にならざるを得なくなる。
利用する者と利用される者の共通項は、『利害の一致』となる。
必然的に、利用する者は一方的に相手を利用するだけでなく、同時に利用される者となる。
こういう関係性が顕著になると、期待するという気持ちはよほど運が良くなければ裏切られることになる。
期待するという気持ちには、一途さが求められ、一途さは時間が掛かるからだ。
現代に繰り広げられる『利用劇場』は、お金を巡ってのものばかり。
利用する者は利用される者であることを教えてくれるツイートがある。
マンションポエムがなくならないのは、あんなチョボクレに感動して5000万も1億もローン組むバカが本当にウジャウジャいるからで、オレオレ詐欺同様、隙だらけのバカが大金持ってるのを見ると、金を掴むのはやはり偶然なのだなとつくづく思う。 pic.twitter.com/GWa2BxvK9h
— 𝙏𝙖𝙠𝙖𝙜𝙞 𝙎𝙤𝙩𝙖 (@TakagiSota) April 5, 2019
お金を巡って、利用したり、利用されたりを繰り返しながらも、現代は長生き社会になっている。
長生きは、社会的な問題も生んでいるが、今日はそこには触れない。
結果的に長生きになったことで、気付き、芽生える価値観がある、まだそれは共通認識のレベルまでは高まってはいないが。
ただ、漠然とした思いは共通してるかもしれない。
幸せを求めて生きてきたが幸せになれてるだろうか?
お金があれば幸せになれると思ったのに………。
お金が無いから幸せになれないのかな…………。
拘っていたのは一体なんだったのだろうか?
「拘れば拘るほど、人間が貧相に映る」とは、今は亡き大女優の言葉ですが、若い頃に拘っていた事でも、年輪を重ねるにつれ、大して意味のない事だったと気づくもの。
— まい (@votanhi0701) April 5, 2019
しかし時間を要せずとも【気づき】さえあれば、格段に生き易くなれるのですよね^^
ノウハウや極意について考えることは、ニワトリと卵の関係を考えることに似ている。
ノウハウや極意は、何をするにしても、関わる分野や業種などを含めたその属性によって違ったものになる。
ノウハウや極意には、『何をするか』との一体感が求められる。
ノウハウや極意があったとしても、それがテクニックの類ならば、取り組むことが一途に長期間続くことでないならば、通用するのも短期間で終わる。
現代のノウハウや極意は、質的に変化してきている。
『何をするか』から、『どういう関係か』にノウハウや極意が宿るようになっている。
これすらいつまで続くかは?だが、まだ始まったばかりと言って良いだろう。
求められている関係性は、信頼できる関係性だ。
信頼できるとは、
- 価値観が同じ、せめて似てる
- 発言に共感できる
- 言ってることが当たる
- 言ってることと行動が一致してる
- 発言が変化しても、嘘はついてない(理由を示す)
などを継続して感じられる場合に、自然と芽生える感情だ。
まづ第一に自分で考えて判断することが大事だが、必要な情報や知恵は第三者を経由して入ってくる。
ノウハウや極意と、誰を経由した情報なのかが、ほぼ同じ意味を持つような時代になっている。
少し前までは、いいねやリツイートが多い情報が持て囃されていたが、その流れは化けの皮が剥がれたと言って良いだろう。
それよりも、誰がどの情報に反応してるかを見極めることが大事になっている。
歴史を紐解くと、歴史上のリーダーと言われる人たちは、強烈なリーダーシップや強い信念の持ち主だったように描かれることが多いが、実際にはもっとソフトで実直に運命を受け容れるタイプだったと思った方がしっくりくる。
昔の運命を受け容れるとは、人間関係を含めて関係性を受け容れるということだ。
昔の関係性は時間を掛けることが必要だった、下積みや修行などが信頼を担保するものとなっていた。
そんな関係性が変化している。
現代に通用するノウハウや極意があるとするならば、そんな関係性をわかりやすく気付かせてくれる情報になるだろう。
と言うことは、そんな情報を発する人が大事となる。
少し前にインフルエンサーと呼ばれた人たちは、そんな役割を期待された人たちだったが、彼らはその期待に応えることはなかった。(既に過去形となった)
AIやアルゴリズムでパーソナライズされるような人たちではもちろんない。
どちらが優れているかということを議論する意味は薄れる。パーソナライズ広告と同じで、正解は人によって違う。ネットは物理空間の限界を超えるので、パラレルで多層的にいくつもの仕組みを走らせておけば良い。二択を迫られるのは有限な物理空間を奪い合ってきた近代に染み付いた思考の癖だと思う。
— Katsuaki Sato (佐藤 航陽)🌎 (@ka2aki86) September 22, 2018
ついつい難しく考えてしまうのは、私を含めて皆の悪いクセ!
ノウハウや極意に通じる信頼性は、身近なところにあるのだ。
参考になるのは、気の利いたスーパーなどで見ることができるPOP(ポップ)だ。
検索するとたくさん出るのだが、一つのスーパーだけでも気が利いてるとこれだけ話題になるのだ、
山梨県北杜市の山の中なのに人気爆発しているスーパー、ひまわり市場。
— まつじ (@matsujun5213) May 14, 2017
その人気の秘密は、こだわり抜いた新鮮な商品とその魅力を伝える熱いPOP。そして社長のマイクパフォーマンス!
僕も「あのエンドウが言うなら玉ねぎ買おうかな」て思った。
POPから細かすぎるモノマネのくじらを連想した pic.twitter.com/4GF27PfbSf
山梨県北杜市で地元の人を笑顔にすると評判なのが『ひまわり市場』→行きたかった --- おもしろPOPや毎日1000本売れる焼き鳥が激アツ! 一度は行きたい “愛されスーパー” (週刊女性PRIME - 10月19日 08:00) https://t.co/zP3OSnOIiS
— ヘンリー・クレイ (@henry_clay2017) October 22, 2018
ということで山梨は北杜市にある激アツスーパー、ひまわり市場に寄ってみた。素晴らしい地域密着POPと店内案内だった。お酒コーナーも充実してたので超詳しい店員さんに勧められるまま散財してしまったぜ。満足! pic.twitter.com/LWFpMrGMfQ
— iremiha (@iremiha) June 10, 2018
これらのPOPは、コトPOPと呼ばれている。
現代社会は、商品も人も似たり寄ったりのドングリの背比べで、抜きん出たものがない時代。
明らかに劣ってるならば論外で、ノウハウや極意をもってしても役に立たないだろう。
大して違いが無いならば、どれを選んでも同じ。
どれを選んでも同じならば、好きな人や気に入ってる人の発する情報を当てにしたいのが人情だ。
信頼を難しく考えてしまうと、根拠やエビデンスに頼ろうとしてしまう。
ビジネス寄りの世間では、信頼が成り立つとは、結果を裏切らない、あるいは、結果を保証し結果が出ない場合は損失を補填できなければ、バランスが取れないかのようなハードルが課されている
しかし、信頼とは「気持ちと気持ち」、「心と心」が通い合うようなところに宿るのだ、気持ちや心が通い合っていれば少々結果がズレる事など、なんて事なく許容範囲に収まる。
直接の知り合いでもない人が作ったコトPOPに宿る力こそが、現代社会のノウハウや極意と言えるだろう。
参考になったのはこの本。
著者の山口茂さんはコトPOPの第一人者であり、提唱者。
書かれたのは4年前で、今年の3月にコトPOPの効果検証という新刊が出てるがお薦めは旧い方。
内容の新鮮さは全く色あせてない!