統一教会の勅使河原氏がアポなしで直接訪問したことが話題になっていた。
旧統一教会・勅使河原氏が〝警察沙汰〟 元妻が信者の男性宅をアポなし突撃していた!
「勅使河原さんは昨日(16日)4時過ぎ、マスクを外して僕の自宅に会いに来たんです」。〝予期せぬ訪問者〟に、橋田氏は「慌てた」と振り返った。
『予期せぬ訪問者』が統一教会でさえなければと考えると、少し懐かしくも甘酸っぱい思いを感じた。
これって、90年台の半ば頃まで営業の基本だったことを思い出したから。
断られてからが始まりだと指導されることは当たり前だったし、マスコミの取材に於ける夜討ち朝駆けなど取材相手の事情など考慮に入れないことも、非難もあったがそれ以上に熱心さの現れとして評価されることの方が多かった、ということを思い出した。
今でも一部の訪問販売では行われているが、アポなしの飛び込み営業というのが主流だった時期はそんなに昔ではないのだ。
一般家庭だけでなく会社でも玄関先や入口の近くに『訪問販売お断り』というステッカー類が貼ってある所はいまだに時々見る。
いつ頃から変わったのだろうかと記憶を辿ると90年台の半ば頃のような気がする。
その頃から、新築されるビルでは入館のセキュリティチェックが厳しくなって、それまではほぼフリーパスだった保険やヤクルトの営業の出入りですらシャットアウトされてるという話を聞くことが増えた。
保険のセールスレディやヤクルトおばちゃんの訪問は予期せぬ訪問者というよりは顔見知りに近い存在だった、仮に初対面であっても許容するのが当然という文化はあった。
訪問が嫌がられるようになると台頭したのがテレアポ営業。
訪問前にはアポを取ることが必要というマナーが浸透すると同時に、テレアポ自体を外注することが増えた。
そうなると重要なのはテレアポ用のリスト。
名簿屋が重宝されるとともに、いつの頃からかカモリストと呼ばれる、営業を掛けられると断れないタイプの人のリストなども作られていたと聞くようになっていた。
そして月日が流れ現代は、お客に選んでもらう営業が主流になった。
逆に言うと、お客が選びたくなるような広告宣伝や演出が競い合われるようになった。
昔であろうと現代であろうと詐欺は増えこそすれ減らないが、これには触れない、あくまでも真っ当な範囲の話をしてるつもり。
広告宣伝や演出の巧さに自信がある人や事業者にとっては、お客は『期待通りの来客者』であり『予想外(想定外)の来客者』になるのだろう。
営業が目指すことは今も昔も同じだろうが、やってることは大違いで、昔は売る側が訪問することが中心だったが、現代では買う側に訪問されることが中心なのだ。
現代の訪問は、アクセスと置き換えた方が分かりやすい。
配達ビジネスが充実したことで、居ながらにして商品の受け取りが可能になったことで自らが先にアクセスしたのだという実感に乏しいかもしれないが、あくまでもアクセスが先で起きてることなのだ。
しかし、届いたものが予期せぬものだった場合はクレームになるのは当然だが、期待が大き過ぎると意識として許容範囲が小さくなり過ぎてクレームというよりは難癖をつけてるだけという完璧主義もどきも増えてるように感じられる。
予期せぬことが許容され辛い時代なのかもしれない。
嬉しいことの代表格に予期せぬサプライズがあるが、今となっては本当は嫌がられることになっているのかもしれない、内心は嫌なのに喜んでるフリをしなければいけない分だけストレスはより強いかもしれない。
世の中にはたくさんの『予期せぬ〇〇』がある。
それらの多くは歓迎されなくなっているかもしれない。