違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

ABテストの功罪

仮説を証明するとまでは言えないが、より確信を高めるための手法にABテストがある。

 

広告やウェブマーケティングではオーソドックスな手法とされ、AとBの二つのパターンでどちらの方に世間が反応するかを調べる方法。

 

本来はどちらの方が反応が多いかを調べるものではなく、どちらが成功に近いかを知る方法という意味では、有名無実化が進んでいるのだ。

 

ABテストの結果、有名人で露出が多くても世間の関心を引くことができないいわゆる『持ってない人』という烙印を押されたりすることもあるし、ABテストのために謂れのない実験的な作り話をでっち上げられることも有名人だと少なくないようで、一般人からすると当たり屋に狙われたとしか思えないような展開もあるが、露出に執着したりバズりたいという思いを持ってる人は、ネガティブな捉えられ方であっても、露出しないことよりもマシだと考える人もいる。

 

有名は無名に勝るという奴だ。

 

ウソやデマやフェイクニュースもABテストの一環として世に出回ってるものもあるだろう。

 

事実なのかそれともそうではないのか、このような基準しか持ってないと世の中の動きから遅れてるだけになるかもしれない。

 

真実にアプローチするためのABテストには意義があるかもしれないが、どちらの方が反応が多いかを知るだけの、あるいは見栄えの良いプレゼンのデータ作りのための、ABテストには世間はウンザリしてるように感じられる。

 

本来のABテストが意味するAとBは科学的な手法に基く実験とされているが、現実の運用は限りなくポピュリズムであり、その結果の信頼性もその場限りで再現性の高さも感じられない。

 

 

%で表示されるデータを見るたびにウソくさいなと思うようになって久しい。

 

そう思いながらもプレゼンが必要な場合には%表示できるデータがあると便利だなと思う自分もいる。

 

調査結果として示されるデータの正体は、無責任なポピュリズムに近く、自説に有利なような数字が出るように仕組まれたもので、ただ体裁だけは整えているものになってるはず、そういう目で世の中を見るようになると、納得できない情報には従わないことが自分を守るためには必要だなと再認識できる。

 

 

ABテストに否定的な思いを持つと、統計全般がウソくさく思えてくる。