面白い記事があった。
弱者をバッシングする「弱者」 「ひろゆき論」書いた大学教授の警鐘
マイノリティーなどを「自らが弱者だと不当に主張して利権を得る人々」だと思い込んでいる、と言ってもいいでしょう。
と言っても有料記事で全文は読んでないが、全文を読んだのであろう人のTwitterでの意見や感想を読んで、記事を全文読んだ気になって以下を書いてみた。
上記で引用した記事の無料でも読める部分が要約となりそうだ。
しかし、広い目で見るとアメリカでのトランプ人気も説明できるだろうし、日本人が大人になってもスクールカーストを引きずってる人が少なくないことの説明も付くような気がする。
スクールカーストに馴染んだ人はきっと派閥を自ら求め、どこかに納まりたいと望むはずだし、派閥の権力闘争に一喜一憂するはず、その結果自分に回ってくるおこぼれが増えたり減ったりすると思うから。
この辺のことを詳しく知りたい人は、トランプ論やスクールカースト論を読むと良いだろう。
これらを踏まえた上で、日本では今年は新しい動きが顕在化したなと感じている。
それは大谷翔平さんやWBCで活躍した選手たちのおかげでだ。
特に大谷翔平さんは、経歴やプロフィールを考えるとスクールカーストの頂点に君臨していても不思議はないが、これまでの伝えられる生活や人柄を総合すると、本人はおそらくスクールカーストが存在してたとしてもそれを行使してないし、おそらくそんな存在相手にしなかったはず。
今年のWBCのチームメンバーはおそらくそういうことを全員感じていたはずで、それをリードしたのがメジャー出身選手たちだ。
日本のプロ野球に所属してる現役選手は、日本での日常ではチーム内および球団フロントとの派閥や権力の狭間で余計なストレスを抱えていても不思議はない。
WBC出場選手で現在不調な選手がいるが、開幕前のWBCで疲弊してると言われているが少し違うと感じてる。
WBCでは無縁でいられたチーム内あるいは球団内に存在するカースト制度を感じて、モチベーションがガタ落ちしてるのではと思っている。
それぞれ不調な体の部位があるようだが、それは枝葉に過ぎず、真の問題は幹や根にあるのかもしれない。
淡々と自分のできるプレーをし個人の成績や評価を追求することよりも、チームとしての一体感や共通の思いを実感できることの喜びを知ってしまったのかもしれない。
自分のチームに戻ったら、そんなものはどこにもないことを実感したために体と心がバラバラになったのでは。
プロだから評価は報酬でという考えは、自分の何十倍も稼いでいる大谷翔平さんがお金にまるで関心を持ってない姿を見ることで180度変化しても不思議はない。
カースト制度の上位に位置するだけのエセ強者ではなく、真の強者が真に魅力的だと、たまたま今は弱者の地位に甘んじてる人であってもモチベーションを正しく維持できる、そんな時代に移っているように感じる。
少なくともそういう人が存在してるということを知ったことは大きな励みになる。