違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

主役の座

インターネットが怪しげでいかがわしい存在からそれなりの存在になった時期をGoogleがGmailをスタートしたタイミングだとすると、2004年4月になる。

 

私が検索ワードの変遷の推移を確認するためによく使うGoogle Trendsのデータ提供が始まったのも2004年から。

 

検索すれば多くの情報にアクセスでき、その精度や要する時間が辞書や辞典を使うより上だと世間に認知されたのもこの時期からと言って良いだろう。

 

ちょっとした疑問を解決するために最も簡単で確実な方法が検索することと認知されると、疑問に感じたことを自ら検索しようとしない人は「ググれカス」と蔑まれるようになった。

 

しかし、その後ネット上の情報にはウソやでたらめも増えてくると検索にも能力や実力が問われるようになり、検索して出てきた情報の吟味ができない人は「ググるカス」と言われるようになり今に至っている。

 

時間の経過で、便利なサービスは良くも悪くもただ便利なサービスではなくなって行くことは珍しくない。

 

 

こんな前置きで始めたのは次の記事を見たから。

 

 

"宿題を解くAI"が現実に登場「ChatGPT」凄い中身
小論文の執筆や数学、物理の問題もこなす対話型AI

ChatGPTの並外れた言語処理能力である。政治・経済・文化・歴史をはじめ、あらゆる分野の質問に対し、おおむね適切で筋の通った答えを返してくる。従来のチャットボットがしばしばとんちんかんな答えを返して、ユーザーをしらけさせてきたのとは大きな違いである。

 

 

自動運転車に搭載されるAIは、状況によっては誰かを犠牲にせざるを得ないという判断を迫られるという課題がある。

 

この課題は「トロッコ問題」と呼ばれ検索すれば情報は出てくる。

 

では記事の、論文だけでなく数学や物理の問題も解けるAIサービスはどのように進化するだろうか?

 

当初は良い意味での進化が進むだろうが、その場合利用者に何が起こるだろうか?

 

論文が優秀で、問題は確実に解けたとして、当の本人に何が残るだろうか?

 

世の中にはテクノロジーの発達の途中経過として実験的に世に出てくる産物がある。

 

戦争や兵器に関するものは典型だ。

 

ここまでの人類の歴史では良くも悪くも人間が意思決定の主役だったが、そうではない未来が現実味を帯びているようだ。

 

人間の役に立つためのAIのはずだが、映画や小説にありがちな人間を支配しようという意思にAIが目覚めてしまったら、辻褄の合うウソをでっち上げるなんて容易いことだろうし、さらに一歩踏み込んで洗脳すら企てられるようになっても不思議はない。

 

これらを人間がやってる場合には、多くの人は怪しげな気配を察知できるかもしれないが、それなりの信頼と実績を重ねたAIが行った場合は察知することができるだろうか?

 

 

テクノロジーが究極に進化すると、未来は明るいと言うよりも暗いイメージになるのはきっと主役が人間ではないからだろう。

 

こうやって考えると、人間が主役の今の地球で生きてる人間以外の生き物にとっては地球は暗いのかもしれない。