慶應高校の優勝で終わった今年の夏の甲子園。
その熱狂も落ち着いてくる今日この頃だが、いまだに燻っているのは慶應の応援団の有り様だ。
マスコミやメディアの中の人に慶應OBが多く、その人達が一様に公共の場ではしゃいだことも不快の火消しが進まない理由だろう。
しかし、それを承知の上でわたしは許容したいと思っている、もちろん慶應とはなんの縁もゆかりもない。
もし来年以降、慶應高校野球部が甲子園の常連になり、また優勝するようなことがあったとしても、今年の夏の熱狂はもはや再現されないことが分かるからだ。
もちろんはしゃぐ人は多数出るだろうが、世間からは冷ややかな視線を浴びるだけで今年のような共感も得ないはず。
なぜなら今年の夏起きたことは一期一会だからだ。
優勝したことが一期一会なのではなく、その時に感じた不思議な一体感や喜びや幸せ感が一期一会なのだ。
一期一会とは最初で最後の初体験。
この後何度優勝しようともはや得られない思いを今年感じたのだが、多くの慶應OBはまだそのことに気付いてないはず。
多くの慶應OBは来年も優勝してあの熱狂を再現したいと思っているだろうが、仮に優勝してももはや出場校のどこかが優勝するのは当たり前というone of themに過ぎないだけになる。
それはそれで喜ばしいことだろうが、心の中に『あれっ、なんか違う』という思いも芽生えてることに気付くだろう。
そして数年経ってふと気付くだろう。
嗚呼、あれは一期一会だったんだと。
だから、わたしはバカはしゃぎを許容したい、むしろ犯罪や迷惑行為を犯してないのは慶應OBが良識を弁えている証でもある。
あれは一期一会だったんだと気付いた時には静かで穏やかな懐かしさを感じるだろう。