全世界的に続いていたスニーカーブームが今年に入り突如終焉したらしい。
ブームに乗ってスニーカーファンになった方で事態の推移を見守っていたファンですらその理由は分からないらしいが、需要と供給のバランス(バランスではなくアンバランスかも)が支えていた市場のバランスだかアンバランスが崩壊したのだけは確かなようだ。
この現象はスニーカーに限らないだろうと容易に想像が付くと指摘する方のブログを読んで思った話を書いてみたい。
突如自分の中で熱狂してたマイブームが終焉したという体験がある。
バイクや車の改造への熱狂だ。
わたしは新しいマシンに関心が湧くタイプではなく、縁あって所有したマシンをとことん自分好みに改造することに夢中だった。
このブームは15年は続いた。
他人から見たら飽きることなく続けているように見えただろうが、実際にはそれなりの葛藤があった。
何をどう改造しても初めて乗り始めた頃に感じたワクワクには遠く及ばないことに気付き始めたから。
そんな気持ちを払拭するように改造にのめり込んでいた。
改造にのめり込む理由として最大のものがあった。
主役は運転・操縦する自分であるとともにその意思を表現するのがエンジンだという思いだった。
だから常に自分が主役だという思いは揺らがなかった。
しかし、お金を掛け過ぎ維持することが負担になり始めてしばらくした頃に、突如天啓のように閃いたことがある。
主役はガソリンじゃないかと。
こんな簡単な真実にどうして気付かなかったのか、いやそれに近いことはずっと昔から心の片隅にはあったのだが、それが心のど真ん中に来たのだ。
熱狂は一瞬にして冷め目が覚めた、というよりもやめる理由が見つかったという思いだった。
今となってはずいぶん前の話になる。
もしわたしが億万長者だったら、心に空しさを感じながらもあの熱狂は今でも続いていたのかもしれない。
社会現象としての需要と供給を支えているのは、個人レベルの金銭感覚と持ってる価値観のバランスだ。
本来一人一人バラバラなはずの金銭感覚や価値観が何かの拍子に一致したり似通ってくるとブームができるのかもしれない。
大きなブームであろうとブームにすらならない動きであろうと、市場が形成されてるならば、それを支えているのは一人一人のマイブームに行き着くのだ。
現象として見てると安定感が感じられても、それは実際には砂上の楼閣のようなものなのだ。
ブームはある日突然終了する運命なのだ。