Twitterで『高校野球のここが嫌い』と話題になっていた。
次の記事がその中心で、世間は概ね記事に賛同し高評価のよう。
「髪の毛を切ってから、出直してこい」というヤジも…今夏甲子園の“非坊主”校、慶應高監督が明かす“高校野球の嫌いなところ”「皆、甲子園中毒になっている」
記事は長文でポイントポイントでサブタイトルが設けられている。
そのサブタイトルが以下。
- 青春の押し付け問題
- いまの高校野球は嫌いなところがたくさんあります
- 型にはまっているのは、大人だけではない
- 子どもは柔軟なようで、意外と保守的
- 甲子園に出場した選手が書いた将来の夢は…
- 高校野球で勝つための近道はある。が…
- いまだに高校球児=坊主頭というイメージが強い
- 高校野球の負の文化
以下は高校野球からは離れる。
このサブタイトルはいろんな日本的文化や日本人的なものに応用が可能に感じられたという意味で本質を突いているように感じる。
受験や就活及び企業活動など全般に当てはまりそう。
二言目にはグローバルなどというくせに実際にはコテコテのドメスティックでガラパゴス。
一人一人はそんなに変じゃないのに、集団を形成すると変になる、そしてその集団の構成員は充実をアピールしても伝わるのはさほど幸せではなさそうという実態だけ。
だからと言って辞めることもままならない。
90年代の半ばに『人間を幸福にしない日本というシステム』を記したカレル・ヴァン・ウォルフレンは、日本の特徴を説明責任(アカウンタビリティー)を果たさないことだと指摘していたことを思い出す。
外国人の目から見て変だったことは、30年を経過しても改まらずに、日本人がしかも高校野球に全てが表れていると指摘するに至った。
突然沸いた話ではなく、我慢に我慢を重ねた挙句に抑えきれずに噴出した話だろうと思うと感慨も大きい。