違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

マンネリという宿命

考えさせられる記事があった。

 

人気YouTuberが急逝「マンネリ化している」4日前に投稿された動画で見られた“苦悩”

 

知らない方だが、動画の中で次のようなことを言っていたようだ。

 

記事から引用すると、

 

 

「私、結構最近マンネリ化してきているのね。YouTubeが。もうそれは再生回数とか見たりしてもわかっててみんな飽きているなっていう」

 

 

「もうちょっとこういう動画が見たいというか最近の私に足りていないものみたいな。説教があったらしてほしいんですよ。こういうところが見たいのに、最近はこういうところがつまんないとか。マジで教えて欲しい」

 

 

 

能動的な行動を一定期間以上継続した経験があると誰だって自分に偏りがあることを認めないわけにはいかなくなるだろう。

 

偏りは価値観の守備範囲に表れる。

 

価値観の守備範囲はそうそう広くはない、むしろ狭いということだって如実に分かるはず。

 

 

価値観の守備範囲から外れたらエラーが起きる、という以前に捕球できない、野球の守備に喩えるとそういうことが起きる。

 

観客から『さすがにあれは取れないよ』と思ってもらえるような状況ならばその姿勢に対する評価は上がりこそすれ下がることはないが、『ぜんぜんダメじゃん』などと思われたら評価はダダ下がりだ。

 

 

野球から離れてアウトプット全般を見渡すと、観客や外野から『ぜんぜんダメじゃん』と思われるだけでなく、自分自身でも『ぜんぜんダメじゃん』と思うよう時にはマンネリが忍び寄っていることが多い。

 

 

他人からの評価が抜群な人でも、特に失敗したわけではなくても、自分がやってることにマンネリを感じる人は多いはずだ。

 

むしろ逆に、評価が高い人ほど、愚直に同じことを繰り返すことで評価を得ることに繋げてることは少なくないはず。

 

一方、同じようことをやっていても結果が伴わなければマンネリだからダメなんだと言われるようになる。

 

マンネリを嫌がる人ほど愚直な行動を嫌がる、しかしだからと言って良い結果や良い評価を得るわけではなく、そうなるとただ根気が無いとか継続できない人と烙印を押されるだけ。

 

 

マンネリを巡っても勝てば官軍負ければ賊軍があるのだ。

 

スタイルが確立していると評価される場合は、マンネリが上手くいってる。

 

マンネリが上手くいってない場合はワンパターンだなどと言われる。

 

ブログですら特化型が良いのか雑記型が良いのかなどと議論されることがあるが、特化型であればテーマがマンネリになりがちなのは宿命で、いつも同じことしか言ってないように思われがち。

 

何でも話題にできるようにと雑記型を選んでも、価値観の守備範囲以上には話は膨らまない。

 

ブログをやってる人だと心の片隅でいつも思ってるだろう、『オレ(わたし)って言ってることがいつも同じ』、『何をどう取り上げても切り口が同じでオレ(わたし)ってつまらない奴』と。

 

 

これは永遠に共通するテーマのはずだ。

 

マンネリはするのが当たり前、して当たり前、誰だって継続すればマンネリは避けられない。

 

 

だって人間なんだもの。