野球に興味がない人にはわかりづらいかもしれないが、今日のテーマは「ストライクゾーン」の変化について。
野球のことを語りたいわけではないが、この後の展開上必要になるので、少しばかり説明するが、バカバカしいと思わずに付き合って欲しいが、野球を知ってる人には必要ない。
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2つのチームが攻撃と守備に別れる。
守備側のピッチャー(投手)がボールを投げることからゲームがスタートする。
ボールを受取るのはキャッチャー(捕手)で、ピッチャーと同じチームに所属する。
ピッチャーは、ボールをどこに投げても構わないが、少なくともキャッチャーが捕れるように投げる必要がある。
ピッチャーが投げたボールを打つ役目をするのがバッター(打者)で、相手チームに所属する。
攻撃側のバッターは、ピッチャーが投げたボールを打っても良いし、打たなくても良い。
ピッチャーが投げるボールが「ストライクゾーン」という枠内を通過するボールは、「ストライク」とカウントされ、ストライクゾーンを外れたボールは「ボール」とカウントされる。
ストライクゾーンは、ホームベースと呼ばれるボードの幅とバッターの身長で決定される。
バッターの役目は塁に出ることだが、塁に出るためには、「ボール」を4つ見極めるかヒットを打つ必要がある、一般には打ちやすいボールが「ストライク」で打ちにくいボールが「ボール」となる。
バッターは空振りを3回するかヒットが打てないとアウトになり、3人がアウトになれば攻撃と守備が入れ替わる。
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この説明ではいまいちかも知れないが、伝えたいことは、野球の場合、ピッチャーが「ストライクゾーン」に投げることができなければゲームが成立しないということだ。
プロ野球を見ていると気付かないが、子供のチームでは最も運動神経の良い子がピッチャーを務めるのは、ゲームの成立がピッチャーに依存する度合いが大きいからでもある。
こんな前置きをしたいと思ったキッカケは下記の記事で、ビジネスを仕掛ける側がピッチャーで、お客の側がバッターのような気がしたからだ。
「自社の情報は、知らない人にとっては砂の1粒と同じ」-佐藤尚之(さとなお)氏が「ファンを大事にするべき」と語る理由 #熱狂ブランドサミット2017
【新規顧客開拓が難しい5つの理由】
1.人口の急激な減少
2.超高齢化社会&消費しない若者
3.陳腐化するUSP
4,溢れすぎるモノ
5.情報過多と二極化
ここに上げられた5つの理由は、ストライクゾーンが変化していることを意味している。
ストライクゾーンが歪な形になっているのか、それとも狭くなっているのか、もしかしたらストライクゾーンが無くなって見えないのかもしれない。
これまでは、このビジネスにおけるストライクゾーンの変化は、機能や性能や生産のあり方で議論され、売れ行きが鈍ることは、コモディティ化など、普及が一段落し、飽和状態に達したからと解されたり、また過度にスペックが上がり逆にユーザーの求めから乖離し不必要なものになったりしていると解されていて、行き詰まったら別の新しいものを見つけて同じ展開を繰り返していたが、別の新しいものが見つからなくなってきたのが今だ。
ストライクゾーンは、ホームベースという絶対的な基準に基づくが、今起きているストライクゾーンの変化は、ホームベースが変化してるように感じる。
ホームベースが変わるということは、ルールが知らないうちに、周知されることなく変化することを意味し、実際の野球ではあり得ないが、現実社会ではこのたぐいの変化は、誰かが意図して起きるものではないので、変化し始めは気付かない、だから気付かないうちにルールが変わるということは起きるだろう。
古いルールの上に成り立ってる仕組みを新しいルールに変えるのは大変だから、何も無いところに新しい仕組みを作ることが望ましいが、その作業は古い仕組みにどっぷり浸かってる人にはできない。
だからといって古い仕組みもいきなり無くすことはできないので初期の変化は潜在化する。
このような変化は、ビジネス以外でも至る所で起きているかもしれないが、気づく人はまだ一部の人かもしれない。
“地味”だが重要な変化を見逃さない
「常識」は「大間違い」になっているかも
私を含む中高年層が自分が受けてきた教育を無意識のうちに「常識」とした上で、ああでもない、こうでもない、と教育改革を語ることにはリスクがある。
少しずつ変わってきた「何か」をきちんと再確認し、その上で、数十年後の社会のために、大きな変化ではなく「磨きあげ」ていく部分は何か。
あえて、付け加えたり、取り除いたりする部分は何か。
こういう時間軸の長い「加減乗除」の話をする必要があると思う。
日本では、大きな勢力とはなってないようだが、アメリカではミレニアルと言われる世代が次世代を動かすと見られている。
ミレニアル世代とは、21世紀に成人を迎える人々のことで、1980年以降に生まれた人々で、この年代に合致しても育った環境によっては、ミレニアルの特徴を持たない人もいるだろう。
アメリカのミレニアルの特徴として上げられるのが、生まれたときからデジタルデバイスが生活の身近にあった「デジタルネイティブ」であることと「多人種」を受け入れる生活の経験だ。
そんなミレニアル世代が大事にするのが、オープンであることと多様性を許容すること。
ミレニアル世代が支持したオバマ大統領の後を受けて誕生したトランプ大統領はミレニアル世代からの支持が少なく、世代間対立が感じられるが、面白いのは世界で最もパワフルなミレニアル世代として、トランプ大統領の側近である娘イヴァンカとその夫クシュナー氏の名前があることだ。
各方面で業界をリード! 世界で最もパワフルなミレニアル15人
トランプ氏支持率、若者層も32%と低調 ハーバード調査 2017.04.26
そんなミレニアル世代の価値観が下記。
「ものを買わない世代」が最も信頼するメディア『Refinery29』。その共感力の秘密をクリエイティヴディレクターが明かす!
まず1つめは「個性」。われわれは、自分自身が自己表現やクリエイティヴィティを追求する個人として尊重されたいと思っている。テクノロジーの進歩によって、さまざまな自己表現ができるようになった現代では特にだ。
2つ目は「グローバルなつながり」。マズローの欲求5段階説によれば、つながりを求める「社会的欲求」は生理的欲求と安全欲求に続いて3番目。しかし、国境を越えたつながりが容易にもてるようになったいま、われわれは同じような考えをもつ人々とグローバルスケールでつながりたいと思っているのだという。
3つ目は「目的」だ。ボリスいわく、われわれは個人として見られたいと同時に、自分よりも大きな「何か」の一部になりたいのだ。若い世代の人々が、高い目的意識をもった企業やムーヴメントに惹かれるのはそのためだという。
文で読むと全くインパクトを感じない。
この中に何か秘密が見出だせるだろうか?
新しい何かを感じられるだろうか?
この引用は失敗したかなと思っていたが、従来と大きく違う点があることに気付いた。
目指すことが抽象的なのだ。
ミレニアルより年上世代では、具体的であることを何かにつけて要求された記憶があるだろうし、そういう教育を受け上司になった人は部下に具体性を要求してるかもしれない。
ビジネスの世界が、具体的であることを要求するのは常識と呼ばれていた。
そんな「具体的」なビジネスは最初は実業と言われていたが、やがて投資など儲かるがキーワードとなる虚業にシフトしたが、ここでは具体的な数字で表現されるプレゼンが行われ、「虚」の部分を隠蔽していた。
しかし、そんな「虚」が(も)行き詰まり始めたかもしれない。
個人不動産投資家の過半「融資厳しくなった」-金融機関の対応に変化
「融資が厳しくなった」ことを感じる理由として「自己資金を求められるようになった」(41.2%)、「自己資金の割合が上がった」(32.4%)などが挙げらている。アンケートは9月27日ー10月11日に実施され、登録会員約6万7000人のうち433人が回答した。職種は会社員が56.1%で最大。
今の時代の行き詰り感は、「具体的であること」がもたらしてるのかもしれない。
もし「抽象的」が次世代のキーワードになるならば、ミレニアル世代より上の人の多くにとっては、自分たちが否定してきたものが主流になるということだから、「そんなの聞いてないよ〜」となるだろうが、面白い時代の到来かもしれない。
そう考えると忘れられないのが、日本の抽象芸術の大家だった岡本太郎(1996年没)だ。
「職業は?」と問われ、名言を発した日本人が二人いる。
一人が矢沢永吉で「職業は矢沢永吉」と答えている。
もう一人が岡本太郎で、「職業は人間」と答えている。
岡本太郎の思いは、『目的を持った行動は卑しい、無目的にただ己を貫くのが芸術であり、人間だ」ってことを言いたかったんでないかな?』と解釈する意見もある。
没後20年の今でも岡本太郎の発した言葉は人に勇気を与えている。
鬼才岡本太郎のツイートが今人気! 名言から見える深〜い味わい 2017.03.22
今その岡本太郎が残した名言を発信するツイートには、13万人を超えるフォロワーたち(H29年3月現在)がその深い魅力を味わっています。
抽象的な生き方というのは考えるものではなく、感じるものかもしれない。
ものの見事に、生産性やロジカルなプレゼンなどの現代社会の必至キーワードの真反対の価値観だ。
抽象的な視点が身に付くとと、ロジカルシンキングをし理路整然とプレゼンするコンサルタントがきっとバカにしか見えなくなるだろうと思うとわくわくする。
野球だったらあり得ないが、世の中のストライクゾーンが「具体的なもの」から「抽象的なもの」に移っていると思いたい。
もちろんそんな時代になっても重厚長大型の社会インフラ等は「具体的」でありつづけるだろう。