違う見方

見方を変えると目からウロコが落ちるかもという独断と偏見による雑記、備忘録

予定調和って面白くない

Wikipedia で"予定調和"と検索すると、下記のように出る。
 
 
モナド (哲学)
モナド(Monad)は、ライプニッツ が案出した空間を説明するための概念である。
ギリシア語 μονάς monas モナス(個、単一)、μόνος monosモノス(単一の) に由来する。
単子と翻訳される場合もある。
 
目次 
1        内容
1.1      相互独立と因果関係
2        俗語としての「予定調和」
3        参考文献
4        関連項目
5        外部リンク
 
 
俗語としての「予定調和」
現代の日本では「予定調和」という俗語「予測どおりの物事が起きること」という意味で用いられている。特に小説漫画などの物語ストーリー)においては「このような状態になったら、次はこのような物事が起きる」という物語の類型が多数存在しているため、ある状態になったときに次に起こる物事を予測できることがままある。その予測どおりに進行したときに、物語の評価として「予定調和」という言葉を用いる。「フラグ」は物語における「予定調和」の一種である。

 

 
 
 
本来の"予定調和"とは、哲学的な意味があるみたいだが、
 
実際に使うときには、上記の「俗語としての予定調和」として使われてる気がするので、以下で語る"予定調和"は、「俗語としての予定調和」。
 
 
私が予定調和という言葉を最初に認識した時は、その言葉とセットで、"最近のテレビは面白く無い"と使われていたような気がする。
 
たぶんリーマン・ショック(20089)の頃だろう。
 
使われ方のせいかもしれないが、いい響きに感じない。
 
"調和"と使われるとすごく良いイメージなのに不思議だ。
 
予定調和でテレビが面白く無いと言われるようになって感じたのは、
 
・確かに似たような番組が増えたな
・確かに低予算化が進んでるな
 
ということだった。
 
でもレベルが低いとは思わなかった。
 
環境の変化に対応しただけだろうとは思った。
 
それよりも改めて考えていて気になったのが、”何かが飽和状態に近づきつつある”感だ。
 
たぶんこれが予定調和を感じさせてるのではないかと。
 
シナリオ的に描かれた世界の行き詰まり感。
 
リーマン・ショックが起きる前、たぶん2005年頃だと思うが、
 
人形劇のサンダーバード(1965〜1966 イギリス)を子供の時以来全話見た。
 
見終わった印象は、主要な映画のテーマ(アクション、冒険、災害)は、サンダーバードの二番煎じだったんだなということだった。
 
ネタは、全部サンダーバードの中にあったんだ。
 
これは、子供の時面白かったはずだ。
 
作られた当時サンダーバードを見て、予定調和を感じる人なんていなかったと思う。
 
推理小説や2時間ドラマなんかもそう。
 
最初は、犯人探しでトリックにこだわり、トリックで行き詰まると、人間関係や動機をめぐって、シナリオを組み立てる。
 
そして出来上がるのが、なんだか前にもこれ見たぞ的な作品。
 
シナリオで勝負できなくなると、キャストを変えて雰囲気で勝負。
 
キャストの使い方に予定調和があると思う。
 
キャストの起用パターンを変えると、同じシナリオの作品でも印象が全く変わったりするかも。
 
 
音楽も同様。
 
音の組み合わせや作曲手法は無限かもしれないが、聞いて心地いいリズムとかってなるとすでに飽和状態かも。
 
著作権とか縛りが多いし、似てればパクリ疑惑が出るし、新しいいいものを作るのが本当に大変になってると思う。
 
でも、これが歌になると無限の広がりを見せる気がする。
 
曲やアレンジが同じでも歌い手が違えば全く別物になる。
 
人間が持つ個性の差ってもしかしてすごい可能性があるのかも?
 
 
予定調和ということばを正面から見て感じることを書いてみたが、予定調和の反対に位置する言葉ってどんなものがあるのだろうか?
 
 
 
 
他にも、混沌とか”行き当たりばったり”とか。
 
 
 
彼氏彼女のプレゼントのやり取りでサプライズを求める傾向にあるのも予定調和を嫌がるからかもしれない。
 
何をもらっても嬉しいという気持ちがあれば、すべてがサプライズになるのではと思うが、それは恋愛初期だけなのだろうか?
 
サプライズの場合、「する側」「される側」どちらの思いが強いかで見え方が変わると思う。
 
「する側」の喜ばせたい気持ちが強い場合、「される側」は、うれしい場合は素直に喜べるが、そうじゃない場合はたぶんなにかしら態度にでるかもしれない。
 
そうすると「する側」は、あまりうれしくないだろう。そうならないように「される側」は、「する側」の希望する喜び方を察する必要が出てくる。
 
「される側」の気持ちが強い場合は、「する側」は「される側」の望むものを察する必要がある。
 
このように考えると、”予定調和”と対立すると考えた”サプライズ”もシナリオ的で予定調和化してくる。
 
”サプライズ”を”予定調和”の反対として実行するにはセンスと才能がいるはず。
 
本来の意味で”サプライズ”が成功するのは、ごく一部の人だと思う。
 
 
”ハプニング”を考えた時浮かんだのは、「フラッシュモブ」。
 
Wikipedia では、下記のように出る。
 
フラッシュモブflash mob)とは、インターネット上や口コミで呼びかけた不特定多数の人々が申し合わせ、雑踏の中の歩行者を装って通りすがり、公共の場に集まり前触れなく突如としてパフォーマンスダンス演奏など)を行って、周囲の関心を引いたのち解散する行為
概要
狭義では政治的な意味合いを持つもの(デモ活動等)は含まれない。現代芸術的な様相を呈する場合もある。企画者が不特定多数の参加者に呼びかける際には、事前の準備に手間やコストがあまりかからないようにし、難しいテクニックを必要とせずに単純なパフォーマンスを求めるなどして、参加へのハードルが低いものとしていることが多い。

 

 
 
フラッシュモブに参加する当事者以外のその場に居合わせた人にとってはまさに”ハプニング”だが、仕掛ける側は高度にシナリオ的である。
 
そういう意味で、”ハプニング”も仕掛けられたものは予定調和的であるかも。
 
 
 
”想定外”を考えた時浮かんだのは、最近の気象変動の激しさだ。
 
これに、阪神大震災や東日本大震災や熊本地震を含めてもいいかも。
 
阪神大震災は、地震の後の火事、
 
東日本大震災は、地震の後の津波、
 
熊本地震は、前震と本震など。
 
シナリオに描けないことが起きている。
 
いつかは、起きる。
 
いつ起きても、おかしくない。
 
と思っているのに起きてしまうと予測を超えてる。
 
予測はしてたが、ここまでひどいとは。
 
的なことが起きている。
 
 
 
冒頭で引用したWikipedia では”俗語としての予定調和”は日本固有のようである。
 
ネット上でしばしば起きる”炎上”
 
これは予定調和の上に起きているのか?
 
あるいは、予定調和を乱したから起きたのか?
 
最後に引用の記事をのせて終わりにします。
 
 
 
「美人すぎる学者」としてちまたで評判の気鋭の脳科学者、中野信子先生にお話を伺ったのだが、興味深かったのは「日本人らしさ」が脳科学的にある程度説明できるという仮説だった。
中でも日本の「ネットの炎上」がなぜ、あんな風になるかという説明が面白かったのでご紹介したい。

 

あちこちでいわゆる「炎上」を目にする。
あれはなんでなんですかね? という話をしたら、中野先生は「それは脳科学的にある程度説明できるんですよ」。

 

脳内には「セロトニン」という神経伝達物質がある。
十分な量があると安心感を覚え、前向きな気持ちになったり、やる気が出たりするので「幸せホルモン」などと呼ばれることもある。
基礎知識
セロトニンの分泌量を左右するのがセロトニントランスポーター。
セロトニントランスポーターの遺伝子タイプはSS型/SL型/LL型の3種類あり、ザックリ言うとSS型の方はセロトニンが働きにくく、LL型は働きやすい。
脳科学的には、LL遺伝子を持つ人の方が楽観的、SS遺伝子を持つ人は悲観的となりやすいという。

 

「日本人らしさが脳科学で説明できる」の話はここからだ。
実はセロトニントランスポーター遺伝子の型の比率が民族によってけっこう違う。
米国ではおよそ3割の人がLL型を持ち、逆にSS型は2割程度。残りがSL型となる。
一方の日本人は、SS型が6割以上を占め、SL型が3割、LL型はなんと数%しかいないのだそうだ。

 

これは世界的にも、アジアでもかなり特徴的な傾向なのだそうだ。
こういう比率の人たちで構成された社会はどうなるか。
米国では3人に1人いる楽観的な傾向を持つ人が、日本では20人に1人しかいない。
逆に、日本人の半分以上が、モノゴトに悲観的な傾向を持つ人であるとも言えるわけだ。
あくまで仮説だけど。

 

ただ、悲観的な傾向を持つ、確実性を重視する性向が強い集団は、同質性を好む方向に行きやすい。
みんなが真面目にコツコツやるのが前提の集団で、一人だけズルしてサボったらその人だけが得をしてしまう。
一人二人なら良いが、その人たちを見てみんながサボリ始めたら、集団全体に被害が及ぶ。
なので、悲観的な傾向を持つ人たちは、そうなる前に「裏切り者」を探し出して排除する仕組みを発達させる。
中野先生は「裏切り者検出モジュール」と説明していたが、SS型の遺伝子比率が多い集団では、ささいな違いを検出する能力が磨かれ、集団の正義への感受性が高まる傾向が出やすいのだという。
ネットの炎上で、正義感に燃えて「恩人への裏切り」や「不倫の恋」を断罪する人がわさわさ出てくる理由を脳科学的に説明するとこういう話になる。
SS型遺伝子の比率の多い民族性が、正義感あふれるネットの炎上を生んでいるというわけだ。

 

ところで、なぜ日本人とアメリカ人で遺伝子型の保有比率がこれほど違っているのだろうか?
それにも仮説がある。
簡単に言えば、日本ではSS型遺伝子の人が生き残りやすい社会が長く続き、米国は逆にLL型遺伝子の保有者の方が生き残りやすかったということになる。

 

中野先生によると、仮に元の比率が同じだったとして、これほどの有意差が出るためには、だいたい20世代、1世代を20年としても400年ほど必要になるという。
今から400年前といえば1615年。
話題のNHK大河ドラマ「真田丸」のクライマックスになるであろう大坂夏の陣があった年だ。
夏の陣で敗れ、豊臣家が滅亡したことで長かった戦国時代が終わり、天下太平の江戸時代がここから250年続くことになる。
戦乱の時代には安全確実よりも多少の山っ気があり冒険心の富む気質の人が必要とされる。
失敗も多いが、大きな成功をつかむ確率も高いはずだ。
しかし、社会が安定すると、堅実で確実な安全志向の人たちの方が成功する率が高まりそうな気がする。
そう考えると、LL型が極端に少なく、SS型が大半を占めるという日本人の傾向は、平和が長く続いた江戸時代に形作られたのかもしれない。
今日の「ネットの炎上」は江戸時代から脈々と続く、日本人の気質を現しているのだとすると、ちょっと面白いですよね。
あくまで仮説だけど。