違う見方

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サイバネティクスがおもしろい!(2019年4月24日更新)

2019年4月24日更新。

 

サイバネティックスと言われる技術的な考え方がある。

 

2017年のウィキペディアにはこう書いてあった。

 

 

サイバネティックス英語cybernetics)は、通信工学制御工学を融合し、生理学機械工学システム工学を統一的に扱うことを意図して作られた学問。

 

 

2019年のウィキペディアではこうなっている。

 

サイバネティックス英語cybernetics)または人工頭脳学(じんこうずのうがく)は、通信工学制御工学を融合し、生理学機械工学システム工学を統一的に扱うことを意図して作られた学問。

 

 

この2年間で、人工頭脳(AI)を意識した学問にシフトしつつあることが感じられる。

 

機械も頭脳も生理機能も、繋がることが重要になっていて、ネットワークや通信はそれ自体は主役にはならないが、ネットワークや通信を抜きには多くのことが価値を持てなくなっているのかもしれない。

 

 

情報化時代と呼ばれ始めた頃は、『知っている』ことに価値があったが、時代が進化しサイバネティクス時代になると、その情報は『何と繋がって』『どのように機能するか』、そこまで分かっていなければ情報として機能しなくなっている。

 

 

情報化時代では、価値がある情報は閉ざされた世界で独占されていたが、サイバネティクス時代の情報はオープンな環境で共有されることで機能し、価値を発揮するようになると期待したい。

 

2017年にサイバネティクスという概念を知った時には、大自然の理屈とも言えるエコシステムを説明するものだと感じていたが、2年の間にエコシステムと人工頭脳が結びつこうとしてることがおもしろさを増したように感じられる。

 

 

 

 

以下は2017年と同じだが、これはサイバネティクスの原点を示す内容になっていると思える。

 

サイバネティクスとは、現代及び近未来に関係するテクノロジーの原点と言えるだろう。

 

わかりやすく説明してるのが下記。

 

「渡り鳥とサイバネティクス理論」

サイバネティクスに該当する日本語は「操舵」ということばにあたります。「操舵」とは船を操ること“船の舵を取る”つまり操縦することです。あらかじめ決められた目標へ直線的に向って、最適コースをとるシステムと違って、行き過ぎたり戻り過ぎたりするが目標に向って進む――これが「操舵」でありサイバネティックスです。

 

人間活動に関して応用範囲が広いので、広く利用されてるが、一般的な認知は低い。

 

サイバネティクス理論とマーケティングの意外な関係

サイコ・サイバネティクス理論から発展した自己啓発プログラムと訪問販売が結びついたのがアムウェイやニュースキンに代表されるマルチレベルマーケティングなんじゃ。じゃからマルチレベルマーケティングの勧誘では必ず「あなたの人生の目的はなんですか?」「今のあなたの毎日は、子供の頃にあなたが想像していた毎日ですか?」という語り口で始まるし、親類や友人など身近な人たちを、その人のためと強く信じて勧誘する行動も自己啓発セミナーとそっくりなんじゃ。

 

人間が持ち合わせてるセンサーは、五感+第六感だが、センサーの精度も能力も動物より低い。

 

人間は、ゴールを持ってるようで持ってない。

 

 

その時時で、目標や目的を設定し行動するが、純粋な自分自身の自由意志で目標や目的を設定しているだろうか?

 

見えざる手としてサイバネティクス理論に操られているかもしれない。

 

古来、宗教家や占い師や指導者そして比較的新しくなってからは政治家などに操られながら行動させられてるだけかもしれない。

 

 

しかし最近になって、人間は自分の外部に高度なセンサーを多数持つことができるようになってきた。

 

テクノロジーの発達で体の外部にセンサーを設けることで様々なデータを入手し解析することで、精度の高い判断をすることが可能になった。

 

 

あらゆるものがデータとして記録されるようになると、嘘がばれやすくなり、特定の人間の思惑だけで大勢の人を操ることができなくなってくる。

 

 

「アッキード事件」と呼ばれ始めた「森友学園」問題 政治家への現金授受疑惑も浮上!

 

 

 

 

知りたいけど知る術が無かった情報が取得できるようになりつつある。

 

集められたデータは瞬時に処理され利用される。

 

最初は、軍事情報としてスタートしたかもしれないが、やがて社会生活を支えるための公の情報として、次に民間企業で活用するようになり、スマホの普及で爆発的になり、活用するかどうかは別にして、センサーが取得可能にした情報は桁外れに膨大なものになった。

 

人間を中心に考えると、外部の周辺情報が、増え続けたと言える。

 

情報の取得はセンサーからだけでなく、IT技術の発達でアルゴリズムも情報を取得している。

 

最近数年でアルゴリズムが取得するデータが、パーソナライズを可能にし始めだした、まだ大まかな傾向に留まっているが、目に見えないところで趣味嗜好が把握されている。

 

こういう状態を、怖いという人や気持ち悪いと思う人も多いだろうが、自分だけではないという意味では、「赤信号みんなで渡れば怖くない」かもしれない。

 

 

情報の活用が次の段階に移りだしてるのが今だ。

 

 

情報は、媒体(メディア)を介して媒体側から大衆の側へ、ごく僅かな例外を除き一方通行で発信されていた。

 

インターネットの登場が、一方通行だった情報の流れを双方向にし、かつそのやりとりにかかる時間の壁を取り去った。

 

そしてSNSの登場が、情報の双方向性を拡大し、網の目状に繋がり出した。

 

拡大した網の目状のネットワークは雑音も拡大させはじめた。

 

情報が一方通行の時代には、解釈に多様性がなかった。

 

正解がひとつという時代だった。

 

 

その正解に納得できない人は大勢いたかもしれないが、その大勢がお互いの存在に気付くことができなかった。

 

そのことは情報を発信する側に有利に作用し、情報に基づき大衆を操ることを容易にした。

 

機械化や自動化を促進したのは、「制御」技術の発達だ。

 

しかし、制御の有り様が行き詰まってるのかもしれない。

 

サイバネティクスは、行き過ぎたり戻りすぎた状態を修正しながら目的に向かう。

 

 

 

歴史的に見ると少し前まで日本でも、家で生まれ家で死ぬのが当たり前だった。

 

しかし気がつくと、病院で生まれ病院で死ぬのが当たり前になっている。

 

今の日本では、亡くなればほぼ火葬一択だが、少し前まで土葬も多かった。

 

サイバネティクスは、遺体の処理にも注目してるようだ。

 

世界各地では、気候風土に応じた遺体の処理法がある。

 

 

平均標高4500Mの岩と氷河の地チベットでは、日本の様に「遺体を燃やして骨にする」という文化がない、というより必要ない。

 

魂を看取った後は、単なる躯として鳥や他の動物の食物として供する。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/鳥葬

チベット高地で鳥葬が一般的になった理由のひとつに、火葬や土葬は環境に対する負荷が大きすぎることもある。大きな木がほとんど生えないチベット高地で火葬を行うためには、薪の確保が困難である。

 

北極圏では夏になると地肌は出るが、永久凍土の地では、埋葬すると冷凍死体になり、そのままになる、だから、海に入れる。

 

砂漠の地では、遺体はミイラになり、年数をかけて風化させる。

 

インドシナ半島では、死体を櫓にのせジャングルに放置し、自然の営みに処理を委ねる。

 

 

 

根底にある考えは、死んだ人間の体を分解し、他の物質に変換させるということだ。

 

と言っても錬金術をやってるわけではなく土地の改良、活性化が目的だ。

 

 

死体を養分に木を育てる!? 新しい埋葬と森林計画の提案

もちろんエネルギーの循環や再生という意味でも非常に有効的なうえ、このような形での提案なら、人間の死を自然の流れの一部ととらえ、土にかえってまた新しい生命(=木)となって生まれ変わるという、ポジティブなアプローチとなるだろう。

 

今、地球は修正モードに入っているは明らかだ。