違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

変化する共犯関係、共犯意識

昔の週刊誌は有る事無い事ウソばかり書いているというイメージが強かった。

 

それがいつの頃からか大手メディアが触れない真実を暴露することが増えたように感じる。

 

それらのネタや情報をどのように集めてるのか、あるいはどうしてそのネタや情報にフォーカスしようと思ったのかを想像してると、ただ単に張り巡らせてるアンテナやセンサーがキャッチし反応したというよりも、そもそもの最初の第一歩はネタや情報が知らない第三者から寄せられることから始まるというのが一番しっくりくる。

 

寄せられるネタや情報とは、極言すると内部告発や内部通報で、内部の解釈の幅はかなり広いはずで事情通も含まれる。

 

ほとんどの場合は、ネガティブな感情が動機で、憎しみや怨みや不満などで、ごく一部に正義があるというようなものだろうか。

 

発覚する各種のハラスメントやmetooも結局これらに含まれる。

 

 

現代は、この手のネタや情報がとても多いと想像できる。

 

取捨選択の結果埋没するネタや情報も多いだろうし、多くは旬も短いはず。

 

昔の内部通報や内部告発は、通報者や告発者の方が社会的にダメージを受けていたように記憶してるが、21世紀に入ると通報されたり告発された側が社会的にダメージを受けるようになった気がする。

 

このような変化は、インターネットやSNSの影響だろうと思われがちだが、それはあくまでも従的な理由だろう。

 

最も大きな理由は、暴露されたら困る事実を共有するという共犯関係の濃密さが成立しづらくなってきたからだ。

 

昔の共犯関係は濃密で強固なので、共犯者は一蓮托生を余儀なくされた。

 

共犯関係を維持するためには報酬や給与や待遇など有形無形の恩恵が必要だったのだが、それが現代ではボランティアになったのだ。

 

現代の共犯関係は、お互いを束縛する力が弱く薄くなっている。

 

共犯関係には利害がつきものだったのに、そうではなくなった理由の一つは、日本企業の衰退であるとともに、日本企業が株主重視になり、株主に外資やドライな感覚を持った人が増えたことも強く影響してるだろう。

 

昔ながらの利害で結びつく共犯関係は薄らいでる一方で、共犯意識の薄い共犯関係が増えてると指摘する声もある。

 

 

共犯関係が薄っぺらいものに変質したのが現代のようで、探すと次のようなものもあった。

 

 

 

利害を共有する共犯関係の質的な変化だけでなく、最近は共犯関係を嫌い、避けたいと考える人も増えている。

 

 

古来、人間社会における最も強力な結び付きは信頼や愛ではなく、共犯関係であり共犯意識だと言われているが、現代の共犯関係や共犯意識はお互いを尊重し合わないので弱く薄っぺらいものになっている。

 

 

共犯関係を持ちかけられた場合には注意しよう。