一連のビッグモーターの事件とこれまた一連の闇バイトや詐欺事件の共通点が、上の立場の者への恐怖に対する服従によって起きているという点だ。
目的はそうではなかったはずなのに。
人間関係は希薄になる一方で、信頼や愛情は高嶺の花になる中で、普通だったら近づかないはずの恐怖へは自ら進んで寄って行くのはなぜなのか。
万策尽きて最後に縋ってるならば、昔懐かしい悪徳サラ金の利用者と同じだ。
人間関係が希薄だからあるいは偏りが極端だからこそ、本来育って機能すべきアンテナやセンサーが誤作動してるのかもしれない。
また、何事にもエビデンスや証拠を求めるくせに、自らは動かない、だからそれらしい嘘や騙しにコロッと引っかかる。
知識はあってもそれが知恵にならない。
アンテナやセンサーが機能しないまま生活するという習慣の繰り返しの結果かもしれない。
人間関係は希薄なのに、憧れの人はいたりする、推しなんていう言い方も関係してるかもしれない。
長く生きてると、昔の手口がロンダリングされかつ現代風にアレンジされ蘇っていることに気付く。
つまり、ここでも歴史は繰り返しているのだ。
失敗の入り口には恐怖やスリルはつきもので、恐怖やスリルがチャンスの顔をしているように見える人が吸い寄せられてるのだ。