違う見方

見方を変えると目からウロコが落ちるかもという独断と偏見による雑記、備忘録

『もやし』が教えてくれる次世代の活躍の条件

10年で100社も廃業に!原材料高騰でもやしが消える日が来る!?   2017年03月31日

「原材料費の高騰が大きな原因です。店頭に並ぶもやしの8〜9割が、緑豆が原材料です。緑豆は世界中で栽培されていますが、雨にぬれてしまうとカビが生えてしまい、もやしに適しません」(林さん・以下同) そのため、収穫時期の9月に、ほとんど雨が降らない中国の吉林省と陝西省などに、産地は限定されるのだ。「しかし経済発展する中国では、農民がより高い収入を得ようと、とうもろこしやじゃがいも、大豆などにシフトしています。

 

原材料の緑豆は取扱にデリケートさが要求されるので、産地限定で輸入に頼らなければならないが、産地では儲からないから栽培する魅力が悪いと捉えられてることがよくわかる。

 

この解決を図るためには、買取価格を上げることで産地での生産のモチベーションを上げる必要があり、それに見合った販売価格が設定されなければいけないのだが、

 

原材料費は上がり続けているのに、販売価格はさほど変わらない。総務省の家計調査でも、1袋200グラムの全国平均価格は、40年前も現在も31円ほどだという。

 

 

 

「’05年と最近を比べると、原材料費は3倍に跳ね上がっています。一方、販売価格は1割も下落……」

 

 

「コストに見合った販売価格を計算すると、1袋40円ほど。消費者の方からは『50円超えると高いけど、そのくらいなら払える』という声もいただいていますし、われわれもなんとか頑張れます。みなさんに、ご理解いただきたいです」

 

 

そんな願いも虚しく6ヶ月後にこんな記事が出た。

 

 

もやし原料豆価格の高騰を販売価格へ転嫁できず、兵庫県の大西商事(株)ほか1社破産申請へ 9/26(火)

大西商事は、もやし原料豆等の卸売を手掛け、兵庫県下を中心に近隣の中・四国、中部地方などに営業基盤を構築。ピークとなる平成3年6月期には売上高6億9124万円を計上していた。しかし、近年の年間売上高は3億円台で推移し、事業規模は縮小。また、原料価格が高値で推移する一方で、販売価格への転嫁ができず、採算性は低調に推移していた。

 

冒頭の記事には、こんなことも書いてあった。

 

 

「バブル崩壊によってデフレが進むと、小売店はもやしを目玉商品として安く売り出すようになりました。納入先に『あまりに安いので、協力してください』と頼みましたが、有効な対策が打てず……。それが自分らのクビを絞める結果になりました」

 

 

 

 

もやしはなぜこんな扱いを受けるようになったのだろうか?

 

上記の記事の内容は、生産者の見方や販売者の見方で価格が形成されているということを示している。

 

つまり、供給側の意思だけで価格が決定されているのだ。

 

需要側である消費者の意思はどこに反映されてるのだろうか、あるいは反映されてないのだろうか?

 

 

以下独断だが、もやしには、唯一にして最大の欠点があるのだ。

 

足が早いのだ、買った翌日には水が出て、2,3日で変色し、臭いが出てきたりする。

 

この欠点とバランスを取るために安値が必至なのではないかと勘ぐってしまう。

 

他の野菜だったらクレームになったり、悪評判に繋がることが、安いからしょうがないとなるのかもしれない。

 

もやしが、ケーキのように付加価値が付く生物(なまもの)だったら、値段が高くても世間から受け入れられるのかもしれないが、残念なことに付加価値はない。

 

このもやしが持つ条件を見ていくと、次世代のビジネスのヒントが見えるような気がする。

 

 

もやしの条件とは、

 

  • 大量生産、大量販売
  • 生産の歩留まりが悪い(デリケートな要素がある)
  • 賞味(消費)期限が短い(=陳腐化が早い)
  • 付加価値がない(主役になれない)

 

 

これらの条件が全部そろうと、高値が付くことは無いということだ、つまり評価されない。

 

食べ物であり、生物(なまもの)だから、賞味(消費)期限という捉え方をしてるが、物や人にも当てはめようとすると、陳腐化という言葉のほうがしっくりくるかもしれない。

 

世の中に建物や車などの余剰資産が増えすぎたことで、シェアという概念が急速に広まりだしている、また持続可能な環境を意識すると、大量生産、大量消費は減らざるを得ないだろう。

 

もやしの場合、賞味(消費)期限の短さが最大の問題だが、ものづくりとして捉えると、陳腐化への対抗要件はブランド力となるだろう、そして人の場合だとブランド力以前のオリジナリティが大事になるだろう。

 

オリジナリティは、能力やセンスに依存するだけでなく、活躍の場をどこに設定するかも大きな要素になるだろう。

 

一方、売り方という観点から見ると、もやしは「目玉商品」という位置づけで、もやしの価格が安い店は他の商品もお買い得だろうと思わせる、客寄せ商品なのだ。

 

特に目的を定めずに安さにつられて来店する客を集めるための目玉商品ということばは、同義語として「おとり商品」などがあり、別に本命商品があることを匂わせる。

 

似た印象を与えるが反対の意味を持つのが、「ついで買い」、本命商品を目玉商品に設定し、目的を持った客を集め、ついでにこちらもいかがですかと奨める、ハンバーガーショップや服を買う時にありがちな営業スタイル。

 

このような売り方の工夫が可能なのは、大量生産、大量販売のおかげでもある。

 

 

減少するであろう大量生産、大量販売、大量消費というサイクルは、ものが中心の社会でなくなることを意味するような気がする。

 

「もの」の替わりは何になるのか、あるいは別の「もの」になるのか、目のつけどころが問われる。