食わず嫌いは、誰にでもあるのだろうか?
食わず嫌いは、食べ物だけに限らないで、幅広く趣味嗜好に関することで起こってるように感じる。
私は、人に対して食わず嫌いが起きる傾向がある。
私自身の中では、「第一印象は外れる」という教訓になってるつもりなのだが、だからといって第一印象が悪い人に対して高得点を与えることは感情的に無理だ。
実生活の場でリアルな人と接する場合には、そんな素振りを見せないこともできるが、ドラマを見る時などは、顕著にこの傾向が出るので、第一印象が悪かった俳優が出るドラマは基本見ないのだが、時々例外がある。
例外は、TVerやAbemaTVなどのネット配信の再放送で起きる。
うまく説明ができないが、テレビでは見る気にならないドラマを、ネット上では”まっ良いか!”と見ることがある。
そこで、評価(印象)が180度変わる俳優が出ることがある。
最近だと、瑛太と小栗旬だ。
瑛太は、「ハロー張りネズミ」で、小栗旬は「BORDER」で印象が変わった。
ドラマを楽しめるかどうかは、大きく2つの要素がある。
キャラクター設定と状況や場面の設定で、どちらも脚本に依存する。
そして、その脚本を支えるのは、キャラクターを取り巻く人間関係とその背後にある感情で、その関係性や感情に対立軸が設定されてる時に、感情移入が起こり、ドラマに没入できる。
そうやって没入できた時、満足感が高く、俳優に対する印象が変わったりする。
その場合、あまり意識しないが、演技はうまいはずだ。
面白いストーリーには、巧みに対立軸が設定されてる。
ストーリーに事件が足りない。
登場人物が行動してくれない。
話がちっとも前に進まない。
そんな悩みがあるのなら、ぜひ使いこなして欲しい法則があります。
それは主人公と対立する存在を作ることで発動します。
ただし、対立軸は2種類必要です。
対立軸を2つ作ることによって、やることがなくてじっと立ち止まっていたキャラクターがゴールに向かって走り始め、その連鎖反応がドミノ倒しのようにつながっていきます。
この法則に照らし合わせて見た場合、日本の政治は、ドラマとしてどうだろうか?
6年前に書かれたものだが、
日本の場合は、政治的にも保守的で経済的にも規制を求める国家資本主義がいまだに霞ヶ関の主流
政策の対立軸がはっきりしないことが有権者を混乱させ、政治の混迷をまねいている。
本来、政治における対立軸とは教科書的に言うと、「大きい政府」vs「小さい政府」なのだが、霞が関が強い日本は、与党も野党も大きい政府指向で実は対立軸がない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/大きな政府
大きな政府(おおきなせいふ、英: big government)とは、政府・行政の規模・権限を拡大しようとする思想または政策である。主に広義の社会主義(社会改良主義・社会民主主義・民主社会主義・スウェーデンモデル・日本型社会主義・集産主義)や国家資本主義・民族社会主義に立している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/小さな政府
小さな政府(ちいさなせいふ、英: Limited government)とは、民間で過不足なく供給可能な財・サービスにおいて政府の関与を無くすことで、政府・行政の規模・権限を可能な限り小さくしようとする思想または政策である。
現在、与党は自民党だが、野党も自民党になりたいというのが、今の日本。
そんな日本の政治は、外から見るとどう見えるのか。
フランス人記者が見た「解散」。安倍首相はコンビニの経営者みたい
安倍首相はコンビニの経営者みたい。新しいショーウィンドウを毎週出さないと生き残れないという考え方。コンビニは年間で7割の商品が更新されていますが、安倍首相も同じです。
――新党が次々誕生するのも同じ「新発売好き」だからでしょうか。
そう。だから外国人の目で見たら面白い。
フランス人には、日本の政治はマヌケな喜劇に見えるのだろう。
そして最新の動きがこれだ。
【野党大再編】民進党、今日にも解党を宣言へ!小池新党と合流!自民党は大パニック状態!?
報道記事によると、民進党の前原誠司・代表は「どんな手段を使ってでも、どんな知恵を絞ってでも安倍政権を終わらせようではありませんか。野党がばらばらでは選挙は勝てません」と述べ、9月27日の会議で解党も視野に入れていることを明かしたとのことです。
日本では、戦国時代からずっと陣取り合戦をしてるだけで、対立軸を競い合ったことがないから、政治ドラマとしてはいまいちなのだが、人間ドラマとして見ると、複雑な対立軸と感情のもつれと、巧みに張られた伏線の数々が壮大なドラマを演出してる。
もしかしたら、日本は鎖国中かもしれない。