違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

ChatGPTよお前もか?

タイトル通りの想いを感じたという話。

 

生成AIに関しては個人的にはChatGPTが好きだ、比較相手はGemini。

 

違いは、なんとなくのレベルだが、確実にChatGPTの方が好ましく思えるから、その程度の理由だ、

 

生成AIの界隈でNo. 1であって欲しいなどとは思っていない、ただずっと使える状態であってくれればそれで良いとだけ思っていた、当然ながら好きだとは言っても無課金。

 

最近、ChatGPTの存続にネガティブな情報が増えている。

 

以下の情報はそれを簡潔にまとめている。

 

 

 

 

まだスマホなど無い頃、世間のPC利用者の大多数がブラウザにIE(internet explorer)しか選択肢を持っていなかった頃に、好奇心から当時珍しかったFireFoxを使い始めた。

 

現在主流のタブで表示することを最初に採用していたことや豊富なアドオンのおかげで自分流の設定が定まるととても重宝していた。

 

まもなくブラウザ戦争などと呼ばれる多数のブラウザ競争が始まった、結局勢力的にはGoogleが一歩も二歩も抜け出し始めたのだが、実際に比較すると私にはFireFoxの方が使いやすかったので乗り換える気はなかった。

 

それから数年、ネット記事でFireFoxのピンチを伝える記事を見た。

 

その記事によると、新年度の予算に関して最大のスポンサーが応じないのでピンチだと伝えていた。

 

その最大スポンサーがGoogle。

 

記憶は明確ではないが2010年かその少し前の頃だ。

 

その時に思ったのは、ある日突然FireFoxが使えなくなることに備えなければいけないなということだった。

 

FireFoxが使えるうちに、少々不満でもGoogleに慣れておく必要があるなと思い使い始めた。

 

程なくして、GoogleはFireFoxに資金を投じたのでFireFoxを使うことの障害は消えたのだが、その時にはもはやブラウザなんて安心して使えるならなんでも良い、という価値観に変わっていた。

 

 

この頃の気持ちを今思い出している。

 

生成Aiを使うならGeminiを好ましく思えるようになった方が良いのだろうかと。

 

ChatGPTとGeminiを比較してGeminiにネガティブな感情を持ったことがあるが、それがなんだったかと言うと、質問内容は覚えてないがGeminiが「それには回答できません」と返したことが何度かあったからだ、別に公序良俗に反するようなことを聞いたわけではないが。

 

印象としては、忖度が機能してるような不快感があった。

 

多分、Gemini自体がまだ成熟してなかったからかもしれない。

 

 

まあ、理由はどうであれ、私の場合は、使い続けられることが重要なんだと再認識している、できることなら取っ替え引っ替えをしたくないのだろう。

 

 

火事と喧嘩は日本の華

2011年の3月11日東日本大震災が起きた。

 

地震被害はあっという間に津波被害になり原子力発電被害になった。

 

つまり、目に見えない放射能に怯える日々が始まったのだ。

 

そうなってから不思議なことが起きた。

 

日本国内における放射能の拡散の実態を知りたいのに、日本発のメディアの情報が真実を伝えているとは多くの人が思えなくなって、自己防衛を図るようになったのだ。

 

自己防衛と言っても今更核シェルターでもなく、個人で放射能計測装置を購入したりなど、主に情報収集に関してだ。

 

結果、海外メディアが日本の現状をどのように報じているかが最も確実な情報であり、その情報と日本政府や日本メディアが伝える内容の違いは、隠蔽や虚偽だと理解する人が増えた。

 

このような事態になると、どちらが正しいかというのは虚しい議論になる、どちらの情報に対して世間や世界は反応するかが重要になる。

 

 

2026年1月、もしかしたら2011年と似たことが起きているのかもしれない。

 

高市政権は是か非か、日本国内のドメスティックな問題のはずだが、日本国内で伝えられる情報で正しい判断ができるのか、誰もが疑問を持ってるはずだ。

 

 

 

 

 

 

似たような意見は多い。

 

 

放射能だと大騒ぎするが、政治だとお祭り騒ぎ、それが日本人の正体なのだ。

 

こういう言い方をすると、日本人の正体とは、日本の有権者の正体を指してるように感じるかもしれないが、当然ながら既存の政治家や立候補者も有権者と対を成す不可分な関係なので、全ての日本人に該当することになる。

 

もちろん何事にも例外はあるので全ての日本人がと言っても実際には全てではない。

 

 

そういえばこんな言葉がある。

 

火事と喧嘩は江戸の華

 

 

字面からすると江戸っ子の気質を示してるだけに思うかもしれないが、これこそが日本人の気質の正体なのかもしれない。

 

DNAレベルで刻まれてるとすれば最近相次いでいる子供の暴力事件もしょうがないのかもと思えてくる。

 

 

本音は隠せない

こんなツイートが流れてきた。

 

 

 

なるほどね、これが本音だとすると、世の中にはさまざまな美辞麗句が本音をロンダリングしていることだろうと容易に想像できる。

 

面接等で語られる志望動機で本音を語ってる人なんてほぼいないはず、みんなとっくに気付いていたかもしれないが、それでも『やりがいを求めて』的な気持ちもまたどこかで本音として存在してると少しは思っていたが、多分それは昭和な20世紀の感覚になってしまったのだ。

 

なぜなら、厳然とした事実として現実社会は少ないパイの奪い合いをしてるからだ。

 

パイを得たければ、誰かが手にする前に奪い取らなければいけない、そういう現実に絶えず直面してるのが大多数なのだ。

 

大前提として、大多数の人は犯罪者にはなりたくない、犯罪者として世間に晒されたくはない、と思っているはず。

 

しかし、グレーゾーンには手を伸ばす。

 

だから誰もが嘘を吐くし、誰かを騙そうとする。

 

騙される方が悪いんだと理論武装して免罪符を得たつもりになって。

 

 

ところで、日本人は本音を人前で出すことをしないことが多い、そういう処世術を身に付けてる人が多い、結果として自分の本音に自分が気付かず生きてるというケースも少なくない、逆に言うと露骨な奪い合いを経験することが少なかったからとも言えるだろう。

 

そういう人が、自分は奪われてると気付いた瞬間に何を感じるだろうか?

 

別に犯罪被害を受けたというわけではなく、誰にも平等な社会システムの変化によって。

 

そういう場合、どこに攻撃の矛先が向かうだろうか?

 

 

自分より強いものに向かう人は立派だ、しかし大多数は自分より弱い者に向かうはず、そうしないと奪い返せないからだ。

 

 

冒頭のツイートに寄せられてるリプライの中に、コストコの時給に戦々恐々としてる院長連中は自分の年収3000万円には疑問を持たずしかも看護師の時給をせめてコストコ並みに上げようとは思わない、というものがあった。

 

 

本音が行動に現れることは避けられない時代になったのだ。

 

 

神輿はあるのか?

石破総理から高市総理に代わって、色々と日本は変化してるはずだが、意外とそんな変化にはすぐ慣れるからかもしれないが、昔からずっとそうだったような気もする。

 

日本社会って国も企業もトップの強烈なリーダーシップで導かれてるというイメージはない。

 

表に出ない黒幕が操ってるというイメージが強い。

 

この黒幕イメージと双璧を成す印象は神輿は軽くてパーが良いだ。

 

 

次のツイートは最近のものだが、内容は東日本大震災が起きる直前の2011年2月。

 

 

 

 

トップがバカでも問題ないのはあくまでも神輿の担ぎ手がしっかりしてることが大前提となる。

 

上記のツイートには続きがある。

 

 

 

 

今の日本のトップは高市早苗総理。

 

どんな黒幕の意を受けて動いているのだろうか?

 

あるいは黒幕などいない、ただ神輿に担がれてるだけだとすると、担ぎ手はどんな層なのか?

 

それとも神輿になど担がれることなくトップとして自ら動いているのか?

 

 

本当に支持率は高いのか?

 

 

来たる選挙から見えてくることがきっと真相なのだろう。

 

 

 

どんぐりは背比べをしたがる

今日のお題のヒントは次の記事だった。

 

 

2025年の「粉もん」倒産 過去最多の28件 物価高、人手不足が直撃、近畿が7割超える

 

 

この記事に対して寄せられてる大学教授のコメントに以下のものがあった。

 

これまで「粉もん」は、非常に利益を出しやすい商売だと言われてきました。その最大の理由は、原材料となる小麦粉と卵が安く、仕入れ価格も安定していたからです。しかし、最近になってこの状況は大きく変わりました。特に、主要な材料である小麦と卵の値段が急激に上がっており、かつての「安く仕入れて利益を出す」仕組みが崩れています。

 

 

このコメントのように粉もんが利益の出しやすい商売として成り立っていた頃は、どの店も味や美味しさや見た目のインパクトなど独自の差別化を競い合っていたはず。

 

記事の粉もんとは、お好み焼き、焼きそば、たこ焼きだが、ラーメンやうどんやパスタなどの麺類も同様だろうし、定食的ご飯もの全般にだって当てはまっていたはず。

 

 

世の中で起きるビジネス的商売的な出来事のほとんどに見られる『鶏が先か卵が先か』のような現象に、需要が先だったのかそれとも供給が先だったのか、がある。

 

途中から考えても大して意味は無い、気付くとあるのは激化した競争だけで、競争の激化とはどんぐりの背比べのようなものであり、知恵やエネルギーを注ぎ込んでもほぼ差別化なんてできていない。

 

 

ちょっと意識高い界隈を例にすると生成AIがある。

 

GeminiがChatGPTを超えたとかが最近よく話題になる、しかしそこでこんなに差があると示される違いは、まさにどんぐりの背丈の違いのレベルにすぎない。

 

 

アナログで原始的なルッキズム界隈では美容整形は花盛りで競争は激化してるが、結果量産されるのは美容整形顔というまさにテンプレートを当てはめた金太郎飴的なもので、すごい差別化を達成したようでいながら、こういう属性の人の生息域は大抵同じなので実は差別化にはなりにくいという皮肉な現実だけが残る。

 

人がいるところ、人が集まるところでは競争が激化する。

 

差別化して対抗しようとすればするほど疲弊する、こんな時は逆張りに限る。

 

『自分のほうが上だ』あるいは『自分の方がマシだ』で一喜一憂するのは立派などんぐりの証。

 

立派などんぐりという表現が褒め言葉だと思うのがどんぐりだ。

 

依存して皮算用

内容に目を通す前は、小さなコップの中の嵐の類だと思っていた。

 

 

 

しかし、実際に内容を知ると、まさに秋田市長が言うようにJリーグは常識が無さすぎる、に軍配が上がると感じた。

 

記者会見の映像を見て、市長の丁寧で落ち着いた語り口で語られる秋田市の見解を聞くと、Jリーグはゆすりたかりに近いことをしていたことが感じられる。

 

焦点が当たっている事実関係には私のような俄が触れてもしょうがないので触れない。

 

改めて調べると、Jリーグとは日本のプロサッカーリーグのことで、J1、J2、J3という三つのカテゴリー合わせて60チームある。

 

J1、J2、J3というのは一軍二軍三軍ではなく独立したチーム。

 

どう考えても、特にプロ野球と比較すると多過ぎる。

 

地域活性化が狙いであるとしても、小さなパイの奪い合いで疲弊するだけなのは明らか。

 

当然ながら、ファンから得られる入場料収入やグッズ売り上げでは賄いきれない多額の経費を地元自治体や地元企業に依存することが前提のシステムなのだ、ただしそれでも上手く行く限りは良いのだが、助けてもらう側が調子に乗ったのが今回だ、と見える。

 

 

助けてもらってる側が調子に乗ったかに見えるような行動をなぜ取ったかというと、まあ断末魔の悲鳴のようなものだったと思うと少し納得できる。

 

皮算用ばかりするようになるはず。

 

いや、皮算用しかしなくなるはず。

 

 

皮算用は夢や理想を描くことでもあるが、依存の上に皮算用を描いてはいけない。

 

依存してるという大前提を忘れてしまうと、得られたはずの支持はもはや無理になる。

 

 

こういう事例は、日本にはたくさんありそうだ。

 

 

不感症だと騙される

生成AIの活用はますます広がっている。

 

多くの場合でそれは歓迎されている。

 

しかし、

 

生成AIが詐欺を進化させる――2026年の新しい危険

生成AIが詐欺の高度化を後押しするでしょう。巧妙な文章を大量に作れるだけでなく、相手の属性に合わせた口調や説得方法まで瞬時に生成できるためです。

 

 

約一年前、Youtubeでお気に入りの音楽を見つけた。

 

所謂80s popと呼ばれるジャンル、気に入れば気にいるほど不思議に思うことがあった、どうしてこんな曲をこれまで知ることができなかったのだろうかということだ、リアルタイムで過ごした時期と重なってたはずなのに。

 

しばらくして、どうやらAIが作った曲らしいと分かった、言われてみればサムネ画像も変だったし。

 

誰がどういう経緯で作ったものであっても良いものは良い、そう思っていたが、作ったのがAIだと分かると急速に冷めた。

 

良いのは事実だとしても、キリが無いなと思えたからだ。

 

案の定、似たような曲が次から次に量産されていた。

 

再生回数を見ると、多くの人が集まっていることが感じられるが、『騙された』と感じる人はどのくらいいるのだろうか?

 

同じくYoutubeで赤ちゃんや動物が出てくるショート動画にもAIが作ったものが増えてきた。

 

何も気づかずに見てると、可愛らしい癒しの映像に感じるが、こんな映像よく撮れたなと思うと、疑問が芽生え始める。

 

その動画に寄せられてるコメントを見ると、AIが作ったことを指摘する書き込みがあったりする。

 

基本スタンスとして、良いものは良いダメなものはダメという是々非々タイプだが、去年一年で大量に巷に溢れたAIコンテンツを見たせいで、良くてもAI作ならダメとなった。

 

AIが作ったんじゃないかという気持ちになるだけで、出来がどうであれガッカリするようになった。

 

明らかに人間が作った方が良い、そう感じるようになった自分がいる。

 

求めてるのは完成度の高さではないのかもしれないが、自分のことながらうまく表現できない。

 

私のようなタイプの人は、AIに騙されるな、という思いを持つだろうが、AIが作ったコンテンツをAIが作ったと知っても別になんとも思わない人もたくさんいるとすれば、そこには新しいタイプの騙され格差が生じてるなと感じられる。

 

この場合の格差とは不感症の格差にも思えてくる。