違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

変化するダイエット

想定外の早さで梅雨が明けた日本。

 

春以降夏本番前にはダイエットへの関心が高まるのが常だったが、いつの頃からかダイエットは筋トレにシフトしたように感じる。

 

個人的にはライザップの影響かなと思っている。

 

筋トレプラス食事の管理を、ダイエットの成功イメージとして定着させたように感じる。

 

そしてコロナ禍でストレッチが注目されたが、ストレッチに注目したのはダイエットや筋トレへの意識とは違う理由に感じるが、どちらにも共通してるのは自分の好きな身体、自分が手に入れたい身体を意識してるという点だ。

 

ストレッチを意識する気持ちの延長線上にはきっとヨガがあるようにも感じる。

 

このような動きはきっと検索に現れていたはず、生成AIにトレーニングメニューを尋ねることはあっても世間の動きを知ろうと思ったら検索の方が向いてるように感じる。

 

4つのワード、筋トレストレッチヨガライザップをGoogle Trendsで比較してみた。

 

 

 

Googleが検索を提供し始めた2004年からしばらくはヨガが一番関心が高かったことが分かる、そして案の定ライザップの登場とリンクするように筋トレが増えている、そしてこれまた案の定コロナ禍に入ると同時にストレッチが急浮上、ストレッチへの関心はコロナ禍で外出自粛が強いられて自室でできる運動としてクローズアップされたのだろう。

 

おそらくコロナ禍以降ストレッチとヨガはほぼ同じものとして認識されるようになったのだろうと感じる。

 

これらの動きにはきっと世間の人々の自分の身体に対する意識の変化が現れているはず。

 

ちなみに上記の比較にダイエットを加えると、

 

 

 

 

ダイエットへの関心は毎年5月がピークだが、近年ではダイエットは検索レベルでは下がっている、この動きは一時期だけのためにするのがダイエットのイメージなのに対しリバウンドなどのない通年で安定した身体を世間の人々が望み出したからのように感じている。

 

いきなり始まった今年の夏だが皆さんは自分の身体とどのように向き合っているだろうか?

 

 

スイカの良さ

毎月何らかの季節の果物が届く通販を契約してる、その果物の生育状況次第で送られるタイミングは変わる。

 

数日前にスイカが届いた。

 

味が美味しいかは正直言って運次第で、過去にはイマイチなものもあった。

 

果たしてスイカはどうか、十分冷やして食べたがこれが大当たりでとても美味しかった。

 

これまでスイカは何度も食べたことがあるが、今回味以外で改めて気付いたことがある。

 

スイカを食べると身体が涼しくなるということだ。

 

冷たい飲み物を飲んだ時に得られる清涼感などとは違い、スイカの成分が身体を内側から体温を下げさせてるような印象が感じられた、こんな感覚を初めて得たのだ、もちろん不快な種類ではなくどうして今まで感じたことがなかったのだろうかと思った。

 

老化のせいだろうかと思いつつ調べてみた。

 

その結果、スイカには身体を冷やす作用があるということが分かった、だから夏バテに効果があるとも。

 

具体的には三つの相乗効果の結果らしい。

 

  • 水分と糖分のバランスの結果

 

  • カリウムの作用

 

  • シトルリンの作用

 

これらの作用や成分を含んだ人工的な飲み物で同じ効果が得られるとは思えないのでまさに自然のありがたさなのだろう。

 

夏といえばスイカを連想するが、そんなにありがたみを感じたことはなかったが、そんなスイカの効能を感じることができたのが歳をとったからだとするなら、歳をとることは悪いことばかりではないなと肯定的に思えて悪い気がしない。

 

 

今こそ『急がば回れ』

ストーリーの展開には起承転結が必要だと言われるが、何事も効率化が優先されると『最初に結論を』が当たり前になった。

 

ビジネス上の話だからと納得しがちだが、最初に結論から始まるドラマがあったとすると、余程高度な展開が、あるいは余程意表を突く展開でも後に続かなければ評価は最低なものになるのは当然だ。

 

そこそこ以上の評価を得たいのであれば、ビジネスに関しても起承転結を意識することの方がきっと効率は良いはず、健全な競争原理が働いているなら。

 

しかし起承転結を効率よく展開しようとすると、どこかで見たり聞いたりしたようなテンプレートの使い回しが起こりがちになる。

 

生成AIを駆使してもそれは避けられないだろうとすると、結局プレゼンター自身が愚直に自分の言葉を使うしかなくなるだろう。

 

こんな時代だからこその『急がば回れ』なのだ。

 

 

きっと一事が万事のはず。

 

国分太一vs長嶋茂雄

故人をdisるつもりはないが、今日になって知ったことがある。

 

6月3日に亡くなられた長嶋茂雄さんの追悼特番の視聴率が7.4%と振るわなかったとのこと。

 

追悼番組は読売グループの日本テレビが手掛け、資料映像も豊富だろうし満を持しての追悼特番で視聴率20%を狙っていたという下世話な話まであったようだ。

 

昭和の時にすでに成人だった人ならば、少なくとも20世紀中に成人を迎えていた人にも共通するかもしれないことに、訃報で盛り上がるのが大好きな日本人は昔は多かったなということがある。

 

政治や経済の世界では弔問外交は大きなビジネスチャンスだと捉える習慣が長かったせいもあるだろう。

 

こんな流れに長寿命化が加わると、訃報それも寿命を思わせる年齢まで生きた人の訃報ならば、もはや関心を持つ人はいる方が不思議なくらい少ないはずだ。

 

そんなことを改めて思った。

 

 

もしかして日本テレビは追悼特番が不発だったからその穴埋めでもしたくってTOKIOの国分太一のコンプライアンス違反という中身がまるで無い謎の社長直々の記者会見などを開いたのではないかと邪推したくなる。

 

ちなみに自分で調べてもChatGPTに聞いても社長会見の視聴率は出てこなかった。

 

ここでも邪推したくなる。

 

日本という看板を背負った日本テレビが、やることなすことピントはずれなことと国としての日本が世界の中でまるで存在感がないことが共通してるなと感じた。

 

 

DNAは意外と無口

興味深いツイートが流れてきた。

 

 

 

この話とは別に最近興味を持つ話があった、その話を最初に知った時少し前のベストセラーだった『スマホ脳』と基本は同じだなと感じることがあって読み返そうと思っているところだった。

 

 

多くの人は人間は時間の経過とともにどんどん進歩進化してると思っているが、『スマホ脳』は進歩進化してるのは人間の周辺環境であって肝心の人間はDNAレベルでは昔のままだから、その歪みによるダメージは心が受けてしまうという話が展開されている。

 

ChatGPTに人間のDNAに変化が及ぶために要する時間を聞いてみたら、

 

 

ざっくりと上記のように答えてくれた。

 

多少の違いがあったとしても今現在生きてる人は赤ちゃんからお年寄りまでDNAレベルではほぼというか全く同じと言って差し支えないレベルなのだ。

 

行きた化石と言われるような人と超進歩的な最先端の人物もDNAレベルでは大した違いはないのだ、違いは親や受けた教育や過ごした環境の違いから生じているのだ。

 

 

つまり、進歩進化してるように見えているだけで、周辺環境だけは激変させてるかもしれないが、多くの人はその環境に振り回されてるに過ぎないのだ。

 

脳が楽しい気持ち良いと感じてることの中には、DNAや心のレベルでは苦痛でしょうがないということが少なくないのだ。

 

誰だって幸せになりたいだろうが、自分自身が真に幸せであることと他人から幸せそうに見えることを意識することは全く違う、そういうことのギャップの皺寄せは全て心に現れるのだ。

 

 

『幸せとは何か?』、この答えは人の数だけあるかもしれないが、それが不幸の始まりになるかもしれないのが現代なのだ。

 

 

人生で岐路に直面した際の相談相手は自分自身のDNAに限る。

 

DNAは意外と無口だから自分から歩み寄る必要がある。

 

 

好感度はあっという間に消える

TOKIOの国分太一さんの件が詳細が不明ゆえにいろいろな憶測や邪推を生んでいる。

 

芸能人として好きか嫌いかでは意見が分かれたとしても、決して悪い人には見えてなかっただけに憶測や邪推が後を絶たない気がする。

 

 

以下は国分太一さんとは関係ない話。

 

好感度とは一体何だろうかと思った。

 

良い印象を周りに与えていた人が何か悪いことをすると、そしてその動機が見えだすと、途端に好感度がダダ下がりするということはよくある。

 

一方で、周りに悪い印象しか与えてなかった人が善行をすると好感度が爆上がりすることがある、本当は良い人だったのかもしれないと。

 

 

低い好感度を上げるのに効果的なのは善行で、高い好感度を下げるのに効果的なのは悪事や不祥事で、どちらも周りの人に知られないように振る舞っていたことが突然発覚するほど効果的に作用する。

 

 

大して善良でもないのだがこれと言って悪事とも無縁に生きてきた人の多くは好かれてはいなくても好感度は意外と悪くないかもしれない。

 

そんな人はたった一つのあるいは一度のミスがすべてを壊すかもしれないのが現代だ。

 

現代における失敗の振る舞いは『〇〇ハラスメント』と括られる行為だ。

 

悪事の度合いでいうと始まりは意外と軽いのだが積み重なるととんでもなくなるという種類のものだ。

 

 

具体的には不明でも『人の振り見て我が振り直そう』が今日の教訓だ。

 

まだ夏ではない

気温だけは真夏や梅雨明けを思わせる日々が続いていて、わざとらしくワイドショーでは猛暑ネタで時間を潰しているが、まだ夏ではないぞと感じてる人は実は多いはず、わたしもそんな一人だ。

 

 

 

このツイートも一理あると思う、言われたらなるほどと思えたから。

 

 

この2~3日で湿度の上昇も感じるので不快指数は上がってると思うが、表示される気温の印象よりも全体に印象が軽い、その理由はまだ空気や地面が熱を溜め込んでいないからだろうと思っている。

 

昨日、身体にそれなりに負荷を掛けて汗びっしょりになってもその後でシャワーを浴びる際に水のままだと冷たいと感じた。

 

夏本番では夜でも水のままでもお湯に感じるくらいだがそれにはほど遠い。

 

昨夜は熱帯夜だった、朝起きて温度計を見ると28℃を表示していたが、窓を開けてるだけで全然暑くなかった、扇風機は必要だったが。

 

ワイドショーが盛んに暑い暑いとアピールするのはきっと夏向けの商品やサービスを展開する企業からスポンサー料とは別の報酬でも受けてるのだろなと邪推したくなるし少なくとも忖度はしてるなと思ってしまう今日この頃だ。