違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

夏といえば…!?

ラジオで『夏といえば、あなたはサザンですか、それともチューブですか』とリクエストを募っていた。

 

『夏といえば…』は、結構重なるような気もするし、人それぞれで大違いのような気もする。

 

そこで、Twitterから『夏といえば』でキーワード検索してみて、『それ分かるな』というものを、露骨なプロモーション的なものは外し、生活実感や世相が感じられるもので陰気にならないものに絞って集めてみた。

 

 



 

 



 

 



 

 



 

 



 

 



 

 



 

 



 

 



 

 



 

 

私などには全く分からないが若者にはお馴染みなのかもしれない。

 



 

 



 

 



 

 



 

 



 

 



 

 



 

 



 

 



 

 



 

 



 

 



 

 



 

 



 

 



 

 



 

 



 

 

夏といえばといって思い浮かぶのは、音や匂いや味や風景に関係するものが多いような気がする。

 

皆さんの夏といえばなんでしょうか?

 

 

 

もしかして大坂なおみって賞味期限切れ?

今年5月の全仏オープンの棄権以降、すっかりただの炎上芸人になったように感じられるのが大坂なおみさん。

 

フランスの日本人差別に無反応だった大坂なおみさん、イングランドの黒人差別には速攻で抗議表明してしまう 2021/7/14

日本人差別発言をしたサッカーフランス代表FWウスマヌ・デンベレ(24)らの騒動にコメントしないことへの不満が多く書き込まれていた。

 

 

その前日にはこんな話題も出ていた。

 

“大坂なおみ選手のバービー人形”米で発売 7月13日

 

即日完売らしいが、ネットやTwitterを検索すると買ったのは転売屋かなとしか思えない、それなりの反響は感じられるがポジティブな反応にはいいねもリツイートも少なく、寄せられてるリプはネガティブなものが多いように感じた。

 

 

 

センシティブな人種問題や差別問題には嬉々として参戦するが、テニスや自身のことを聞かれるとうつ病が発症するという特徴から、その行動はサスティナビリティが欠けているという指摘も多い。

 

だからだろう、こんな記事も。

 

大坂なおみ「五輪後に引退」の可能性 テニス界のレジェンドも懸念  7/14(水)

若い女性に多いのですが、好きなことやうれしいことをやっているときは元気で明るくなるのに、仕事など嫌なことになると落ち込む『気分反応性』が認められます。

 

 

上記のようにたまには話題が出てるのだが、ポジティブネガティブ含めて盛り上がってる感じもしない。

 

Google Trendsで見ると、日本だけでなく世界でも大きな大会で活躍した時だけ反応が顕著だという特徴がある。

 

過去5年の反応を見ると、

 

Google Trends『大坂なおみ』直近5年 世界



2019年1月全豪オープンで優勝し、世界ランキング1位になった時は世界でよりも日本での反応が大きかったことが分かる。

 

日本での反応が大きいことは5月のパリオープンの頃まで続き、この頃はパリで錦織圭選手とディナーを楽しんでいたことなども話題になっていて、好意的な反応が続いていた。

 

 

直近1年で見ると、

 

Google Trends『大坂なおみ』直近1年 世界



世界の反応に比べて、日本の反応のフェードアウトがどんどん早くなるように感じられる。

 

もともとネガティブな印象を与えることが多いのだが、ネガティブな印象に付き物の反発も日々薄らいでいるように感じられる。

 

過去90日で見ると、

 

Google Trends『大坂なおみ』直近90日 世界

 

 

全仏オープンの棄権はネガティブな話題として盛り上がっていたように感じていたが、世界ではともかく日本ではもうあまり相手にされない話題のように感じられる。

 

まもなく開幕の東京オリンピックだが、大坂なおみさんに関してはまるで話題になっていない。

 

根強いアンチが多いと感じていたが、アンチも離れてしまったのかもしれない。

 

 

覚えているだろうか、今年2月オリンピック組織委員長だった森喜朗氏が辞任に追い込まれた直接の原因はNBCの『森氏は去らねばならない』という発言を受けてだったということを。

 

ではNBCはなぜそんなことを言ったかというと、大坂なおみさんが森氏の言動を性差別だと非難し、それが話題になったことを受けてだ。

 

 

その発言力がすっかり消え失せたように感じるのは私だけだろうか?

 

 

東京オリンピックでの活躍次第では発言力の復活もあり得るかもしれないが、もはや賞味期限が過ぎてしまったようにも見えてくる。

 

個人的には東京オリンピックで注目したいのは大坂なおみ選手だ。

 

夏が嫌いな人が増えている!

先日テレビで、夕方のバラエティ的なニュース番組の中で視聴者に『夏と冬どっちが好き?』とアンケートを取っていて、番組終了時にその結果発表をしていたが、夏が好きだと答えた人が3割で、冬が好きだと答えた人が7割だった。

 

このことはなんとなく予想できていたが、はっきり結果として現れると、時代の変化だなと感慨ひとしおだった。

 

ところで、『夏と冬どっちが好き』とネットで検索すると、上位表示されるものはどれも夏が好きが6割と出てくる。

 

理由を見てると、夏に対する好き嫌いには積極的な理由が感じられるのに対し、冬は理由がバラける印象だ。

 

この違いは、アンケートに答えた人の年齢や生活環境が関係してるだろう。

 

しかし、昭和だったら夏派が圧倒的に多かったような気がする、本当は夏が好きじゃない人でも『夏が好き』と答えたような気がする。

 

夏が好きというのは、夏を楽しめてるということで、それは青春や人生をエンジョイできていると同義だったので、夏が好きではない人には陰気で根暗なイメージすらあった。

 

 

 

アンケートの取り方によって違いが生じるのは当然としても、どちらかというとテレビのアンケート結果の方が世相を反映してるように感じられた。

 

昔の夏と今の夏は違っているし、同様に昔の冬と今の冬も違っている。

 

夏も冬も体感気温は上がっている、統計的な平均気温の上昇以上に上がっているように感じる。

 

つまり、夏の暑苦しさはより増し、冬の寒さの厳しさは緩んでいるのだ。

 

アンケートで冬が好きと答えた人のほとんどは、冬が好きというよりも夏が嫌いと回答していた。

 

嫌いな理由として上がっていたことは、

 

  • 暑すぎる(汗や体臭の不快も含む)
  • 日焼けする
  • 虫が出る

 

ほぼこの三つだった。

 

調査のサンプルが増えると、エアコンの設定温度を巡る不毛な争いで夏が嫌いという答えも増えるだろう。

 

今の時期になると、梅雨明けしてもしなくても太陽が出ると真夏の陽射しになる。

 

そんな時に、ワクワクしてる自分に気付く人は夏が好きな人だろう。

 

自覚はないかもしれないが、日陰を求めるようになると夏は苦手になってる証かもしれない、高齢化と無関係ではないはずだ。

 

 

これに加えて日差しの下ではスマホ等の画面が見づらい、あるいはディスプレイの輝度を上げざるを得ないのでバッテリーの消費が気になるという理由で夏が嫌だという人もいるだろう。

 

 

夏(日本の)が嫌いな人が増えてるのは間違いない気がする。

集中力は15分

全ての人に平等に与えられてるのは時間。

 

1分は60秒。

 

1時間は60分。

 

1日は24時間。

 

1年は365日。

 

 

時間を有効活用するために眠る時間を削ることを厭わない人も多いが、少ない睡眠は人間のさまざまな機能を低下させるということは今では周知の事実で1日8時間の睡眠が望ましいとされている。

 

実際の睡眠時間が何時間かを含めて、誰でも24時間を自分なりに配分しながら生きている。

 

時には自分で配分してるというよりも、他人に配分させられてるという時間も少なくないだろう。

 

昔の通販や最近のサブスクモデルでは一月いくらの料金体系を負担が小さいと見せるために1日あたりいくらと表現するが、これは一種のトリックできちんと考えてないと後からじわじわ効いてくる。

 

時間配分もよく似てるのだ。

 

仕事や勉強と称してる時間の一体どのくらいが本当に有効活用されてるだろうか?

 

有効活用されてる場合の気の持ちようを集中と呼び、集中できてない(あるいはしてない)状態を気が散ってると呼ぶなら、人間は圧倒的に気が散ってる状態の方が長いと言われている。

 

一般的な集中の持続時間は以っても15分と言われる。

 

どんなに集中してるようでも15分経つと集中は途切れざるを得なくなるということだ。

 

 

長時間集中を要求される場合は、短い間隔で集中と弛緩が繰り返されてるはずだが、意識の上ではずっと集中し続けてるつもりになってるだろう。

 

 

集中すれば長時間作業に向かず、ダラダラやればミスが生まれやすくなる、単純作業ほど課題が多く単純ではなくなるのだ。

 

 

 

人間の生理的な構造上、集中力があると言われてる人と集中力がないと言われてる人の実際の差は本当は大した違いじゃないのかもしれない。

 

 

ただ寝てるだけのように感じる睡眠にも集中と弛緩がある。

 

集中してるのはノンレム睡眠と呼ばれ、弛緩した睡眠はレム睡眠と呼ばれる、少し前まで90分周期だと言われていたが最近では個人差が大きいことも分かってるらしい。

 

 

個人単位で見ると全ての人に平等なのが時間だが、時間配分がテーマになると結果の違いで差が目立つようになる。

 

一人でできることだけでも大きな差がつくようになるし、他人の時間を使える組織力があればさらに結果は大違いになる。

 

組織力以外にも機械化や自動化も時間配分に革命をもたらした。

 

時間配分に革命が起きた分野は、もともと人間に不向きだった分野のはず。

 

 

集中力は15分だということを意識して、それを踏まえてやりたいことを決めるのもアリではないだろうか。

 

デブvs肥満vsぽっちゃり

おもしろいツイートを見かけた。

 

 

 

このツイートに対して、

 

 

 

 

デブというのは一般的にはネガティヴワードだろうが、そんな一方でポジティブに捉える話も聞こえてくる。

 

体重100kg以上の「デブ」がレンタルできる珍サービス「デブカリ」がスタート!

 

 

デブカリでは個人需要と法人需要を考えているようで個人需要としては、

 

  • 大食いメニューに一緒にチャレンジするデブがほしい
  • 悩みをデブに相談したい
  • 一緒にシーソーして欲しい
  • 太っている人へのプレゼントを一緒に選んで欲しい
  • コスプレイベントに参加するのにデブのキャラ役が欲しい
  • とにかく話を聞いてほしい
  • 一緒に写真を撮って、より細く見せたい

 

 

法人需要としては、

 

  • ダイエットの企画に100kg越えのデブが欲しい
  • デブに向けたアンケート調査をしたい
  • デブというインパクトある画が撮りたい
  • とにかく沢山のデブが必要だ
  • 映画やドラマを撮るのに、デブが必要だ

 

 

などを想定してるようだ。

 

 

久しぶりに『デブ、デブ』って書いた気がする、喋り言葉では使わないこともないが、書いたのは初めてな気すらする。

 

以前にデブというのはハラスメントに当たるから使いたい時はぽっちゃりと言い換えた方が良いと聞かされたことがあったのを思い出した。

 

肥満をデブと呼ぶかぽっちゃりと呼ぶかと考えていたら、こんな時こそGoogleTrendsだなと、検索可能な2004年以降で比較してみた。

 

 

Google Trends『デブ』『肥満』『ぽっちゃり』2004年以降

 

 

おもしろいことに、2004年頃だとこの三つのワードはほとんど差がなかったのに、徐々にデブがリードし、少し遅れてぽっちゃりが追従する一方で肥満は少し下がった後一定の推移を保っているが、おそらく公的なあるいは中立な表現をする場合は肥満としか表現できないからだろう。

 

しかし、カジュアルに自由に言葉を使える環境ではデブのリードが広がっていたが、2019年に入るとぽっちゃりがデブを逆転するようになっていることが分かる。

 

では、デブとぽっちゃりの使い分けの境目でもあるのだろうかと気になってくる。

 

そこでTwitterを検索すると、

 

 

 

 

 

まあ、予想はついていたけどぽっちゃりというのはデブをオブラートに包んだ表現だと認知されてるようだし、ぽっちゃりを自称する場合は罪悪感を感じてる様子も伝わってくる。

 

だからこそ、周りの人や身近な人がぽっちゃりと呼んであげることは、心の免罪符になりそうだ。

 

最近ぽっちゃりの需要が増してるのはそういうことも関係してそうだ。

予想、予報、予言

日常生活で結構な信頼を寄せているのが天気予報。

 

日本の場合、気象衛星以外に地上に約1300箇所の観測機器が設置され、そこから得られるさまざまなデータが収集され、予報に繋がっている。

 

日常生活で信頼されるということは、天気予報は当たることが多いということを示してる。

 

しかし、昨今大きな災害に直結する線状降水帯の発生はまだまだ予報できるレベルには遠い。

 

 

 

予報できるとありがたいものに地震がある。

 

しかし、こちらはまだ天気予報のレベルにはほど遠い。

 

最近では地震とFM電波の変化に関係がありそうだと研究が進んでいるようだが、結果として予報の発令に繋がっているとは聞かない。

 

現在、地震の場合だと、実際に地震が起きたということを地震の揺れが伝わる前に警報として発令することはできるレベルに止まっている。

 

 

 

予報は予想を越えてる気がするが、当たり外れはある。

 

 

それに対して予言は外れることが多いように思うが、時にはホームランになることもある。

 

 

わたしにとって印象的な予言は、現在ヨットでの太平洋横断の帰路の真っ最中の辛坊治郎さんが発したもの。

 

あれはいつ頃だったかなと検索したが、正確な日時は不明だが、どうやら2009年らしい。

 

テレビ番組の中で、『これから150歳以上の人が増えます』と言ったのだ、実際に聞いていた。

 

『何をバカな』と思ったが、その後の説明を聞いて『あり得る』と思った。

 

高齢の親の年金を死後も受給するために死亡届を出さない人が増えるからというのがその理由。

 

これがきっかけで全国の自治体で高齢者の実態調査が行われ、100歳以上の住民登録されてる人が4万人以上いたが、生存が確認できたのは2万人を少し越える程度だったということが発覚した。

 

 

そんな辛坊治郎さんは、太平洋横断に出発する前に予言をしていたことが当たっていたと一部で話題になっている。

 

辛坊治郎氏が大予言! ワクチン打ち始めたら「30万人死ぬ」  2021年04月08日

確実に言えることは4月以降、3600万人の高齢者に3か月間で集中してワクチンを打ち始めたらバタバタ人が死にます。どのくらい死ぬかと言うと、1日3000人ずつぐらい。1か月に10万人。3か月で30万人、死にます。これは当たるんです。なぜ当たるかと言うと、ワクチン打たなくても30万人、死ぬんです。そう、自然に(笑い)。

 

 

さらに、次の予言は辛坊さんじゃなくてもできた人は多いだろうが、

 

まず3か月で、3600万人に打ち終わることありません。任意接種ですから。今の世論の動向から見ると「打ちたくない人」が半分くらいはいる。半分くらいしか打たない。

 

 

 

苦しく厳しいヨットでの太平洋横断に乗り出したのかの理由としてこんなことも書かれていた。

 

 

その時に社会が「これはワクチンがなくても死んだ人だよね」と冷静に判断できればいいですが。「これはワクチンのせいかもしれない」と報道をした方が視聴率が取れると、ワイドショーが朝からガンガンやり倒すことがないではない。その時、社会で何が起きるかを考えると、暗たんたる気持ちになるのでオレは日本にいなくてよかったと(笑い)。

 

 

予報はデータが重要であることが分かるとともに、予言には洞察力が重要だと分かる。

 

次世代のキーワードはサイコ!

機械化、自動化、AI化と進化するテクノロジーの応用は次はどこに向かうのか?

 

次がどうなるのか、具体的でなくても構わない、もっとざっくりしたものでも構わないが何か指標になるようなものはないかなと以前から思っていたが、偶然それらしきものが見つかった。

 

テクノロジーの発展進化の様子を未来予測まで含めて俯瞰で捉えた図があった。

 

サイバネティクスを比較的新しいものだと思い込んでいたが、そうではないということもわかった。

 

 

 

f:id:chigau-mikata:20210710121323j:plain

https://www.omron.com/jp/ja/about/corporate/vision/sinic/theory.html

 

 

この図は、オムロン株式会社の創業者立石氏が1970年に、「科学と技術と社会」の 3 つが相互に作用し、スパイラルに発展して いくということで提唱した「SINIC 理論」を示した図で、以下のサイトが詳しい。

 

株式会社 オムロン・サイニック・エックス(OSX)

 

 

図は、1970年以降に関しては未来の予測になるのだが、50年後の現在から見てもまるで歴史を俯瞰してまとめ上げたかのように当たっていると感じられる。

 

 

科学の進歩が技術の発展を促し、それらが社会に還元されるようになると『人の弱体化』が起きることが懸念ともSINIC理論では初期の頃から気付いていたことも分かる。

 

 

機械はいかに人に成長してもらうか、人の意欲を引き出すかという観点から進化させ、それをその時代の社会ニーズや社会課題と融和させる方向に向かうと捉えていることも分かる。

 

 

スマホ依存や過度のSNSの負の面が社会の課題になってるが、こういうことが起きてるということは、次の扉が開き始める前兆現象だと捉えると悲観する必要はないのかもしれない。

 

技術の発達は制御やコントロールの高度化に向かっているが、そのせいか人間の行動は独占的であったり独り占め的なものになっている。

 

そのことが人の幸せに繋がってないとすれば、次のテクノロジーのトレンドはこれまでより人にフレンドリーなものになるのかもしれない。

 

上記の図に当てはめると、次世代の科学にはサイコ〇〇とあるように、人間の能力でいうと超能力を連想するような雰囲気が漂うが、眠っている潜在的な能力を引き出すと解釈すると主人公は人間だと感じられる。

 

そういう意味では新しいルネッサンスとも言えそうだ。