全ての人に平等に与えられてるのは時間。
1分は60秒。
1時間は60分。
1日は24時間。
1年は365日。
時間を有効活用するために眠る時間を削ることを厭わない人も多いが、少ない睡眠は人間のさまざまな機能を低下させるということは今では周知の事実で1日8時間の睡眠が望ましいとされている。
実際の睡眠時間が何時間かを含めて、誰でも24時間を自分なりに配分しながら生きている。
時には自分で配分してるというよりも、他人に配分させられてるという時間も少なくないだろう。
昔の通販や最近のサブスクモデルでは一月いくらの料金体系を負担が小さいと見せるために1日あたりいくらと表現するが、これは一種のトリックできちんと考えてないと後からじわじわ効いてくる。
時間配分もよく似てるのだ。
仕事や勉強と称してる時間の一体どのくらいが本当に有効活用されてるだろうか?
有効活用されてる場合の気の持ちようを集中と呼び、集中できてない(あるいはしてない)状態を気が散ってると呼ぶなら、人間は圧倒的に気が散ってる状態の方が長いと言われている。
一般的な集中の持続時間は以っても15分と言われる。
どんなに集中してるようでも15分経つと集中は途切れざるを得なくなるということだ。
長時間集中を要求される場合は、短い間隔で集中と弛緩が繰り返されてるはずだが、意識の上ではずっと集中し続けてるつもりになってるだろう。
集中すれば長時間作業に向かず、ダラダラやればミスが生まれやすくなる、単純作業ほど課題が多く単純ではなくなるのだ。
人間の生理的な構造上、集中力があると言われてる人と集中力がないと言われてる人の実際の差は本当は大した違いじゃないのかもしれない。
ただ寝てるだけのように感じる睡眠にも集中と弛緩がある。
集中してるのはノンレム睡眠と呼ばれ、弛緩した睡眠はレム睡眠と呼ばれる、少し前まで90分周期だと言われていたが最近では個人差が大きいことも分かってるらしい。
個人単位で見ると全ての人に平等なのが時間だが、時間配分がテーマになると結果の違いで差が目立つようになる。
一人でできることだけでも大きな差がつくようになるし、他人の時間を使える組織力があればさらに結果は大違いになる。
組織力以外にも機械化や自動化も時間配分に革命をもたらした。
時間配分に革命が起きた分野は、もともと人間に不向きだった分野のはず。
集中力は15分だということを意識して、それを踏まえてやりたいことを決めるのもアリではないだろうか。