違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

サラリーマンを象徴する駅が新橋から品川にシフトしたことが示すこと

サラリーマンの生態を象徴する場合の映像として少し前まで代表格だったのは新橋駅前の光景だった。

 

多くは、会社が終わったとの飲食光景で、その定番は上司の悪口を言いながら酒を飲むというものだった。

 

それがいつしか新橋駅から品川駅にシフトしていた。

 

さらに興味深いのは、品川駅で用いられる映像の多くは朝の通勤風景で、この点も新橋駅との違いを象徴している。

 

この違いには気付いていたが、その違いをシンプルに表現することばはなかなか見つからなかったが、ここにきてやっと見つかった。

 

きっかけはこのツイートからで、このツイートをきっかけに品川駅の通勤風景は社畜回廊と呼ぶことが定着したように感じられる。

 

 

 

 

この広告を作った人の意図は、

 

 

 

意図しない反響に対してのリアクションは、

 

 

 

この炎上に関してはさて置き、新橋駅から品川駅へのシフトが示すこととして思い浮かんだ話をしてみたい。

 

 

昭和の映画ではサラリーマンの悲哀を描いたものが多く、エコノミックアニマルとして過酷なサラリーマン生活を描いた物語もあったが、多くは喜劇として描かれていたように記憶している。

 

喜劇が多かったというよりも、記憶に残ってるものに喜劇が多いという印象で、そのほとんどは再放送や再再放送でしか見たことしかなく、リアルタイムでとなるともはや歴史だろう。

 

一人だけ代表例を挙げると植木等さんの映画のサラリーマンシリーズだ。

 

植木等さんは、がむしゃらなモーレツサラリーマンの役だが、脇を固めるのは昭和のお気楽サラリーマンで、『サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだ』がキャッチフレーズだったことは子供心に覚えている。

 

 

 

 

 

サラリーマンが気楽な稼業だった頃の象徴が新橋駅だったのだ。

 

昭和も後半になると決して気楽な稼業とは言えない面が出ていたはずだが、夜の新橋駅の光景にはその名残が長いこと残っていたような気がする。

 

さて、時代が変わり、おまけにコロナ禍でサラリーマンの生態を象徴する場として夜の新橋駅はピンと来ない場所になり、代わりに台頭したのが朝の品川駅の通勤風景になったのだ。

 

 

気楽な稼業だったはずのサラリーマンは、社畜回廊を『仕事は楽しいですか?』と問われながら、生気なく歩く人になってしまったのだ。

 

 

現代でも、最もリスクが少ないのがサラリーマンという生き方だと、多くの経営者や起業家が言うが、昔の気楽な家業としてのサラリーマンはもう望めそうにはないのだ。

 

 

社畜回廊をスキップしながら歩く人が現れる時代は来るのだろうか?

動体視力について思ったこと

野球界の話題は、大谷翔平選手の活躍が独占した2021年だったように感じる。

 

わたしにとってはフルスイングの魅力はソフトバンクホークスの柳田悠岐選手が一番だと思っていたが、今年の柳田選手はスイング自体が冴えない。

 

そして、全盛期の柳田選手と比較しても今年の大谷選手のスイングは力強さ以上に柔らかくしなやかな優美さも備えていて、一歩も二歩も上を行ってるように感じられた。

 

柳田選手は32歳で、伝え聞く私生活や食生活が乱れてるようには感じないので、体力の衰えにはまだ早過ぎるような気がする。

 

そこで柳田選手のスイングの冴えなさを考えていて、50歳まで現役を目指すと言っていたイチローさんが45歳で引退を余儀なくされたこととつながった。

 

この時のイチローさんも体力に起因して衰えたとは誰からも思われてなかった。

 

イチロー44歳「動体視力の衰え」でマリナーズ特別契約

現役時代後半、自身も目の衰えに悩まされた評論家の広澤克実氏が語る。

 

「目が衰えると、焦点が合う時間が遅れる。大谷の160キロの速球なら0.1秒で約4メートルボールが動く。目の衰えにより、そのわずかな時間に対応が遅れてしまう。走塁や捕球は大丈夫でも、打つことには支障が出てくる」

 

 

 

イチローさんを始め大活躍する選手には、視力はさほど良くないという噂がよく出る。

 

真偽の程には諸説あるが、視力が思われてるほど良くないことは珍しくなさそうだ。

 

その代わり、動体視力は抜群に良いということは活躍のための必須条件になるようだ。

 

具体的に視力と動体視力の違いに興味ある方はググって欲しいが、以下にイメージしやすそうなツイートを紹介したい。

 

 

 

 

ごく普通の人間の場合として次のような話もあり、わたしは自分に当てはめて大いに共感できた。

 

 

 

このツイートに対する反応として次のツイートがあった。

 

 

 

ここに書かれてる『細かいジャッジの先走り』が的を射てれば、読みや勘が鋭いという評価になるのだろうが、そうでなければ周りの人からは判断力や認知力が落ちたと見えるはず。

 

 

つまり、動体視力だけが良くてもしょうがないのだ、見えたものをどのように判断し処理するかが重要になる。

 

 

結局、動体視力が悪くなることは致命的な弱点につながりやすくなるので身も蓋もないのだが。

 

いつの頃からか、メガネ屋さんが補聴器もラインナップし積極的に営業するようになったということは、視力の低下と聴力の低下に類似点や共通点があるのかもしれない。

 

加齢によるだけでなく、イヤホンの長時間装着での難聴も増えてるし。

 

 

見たり聞いたりを入り口にして情報を判断するのだが、情報が世間に増えれば増えるほど、それを受容するインターフェースとしての人間の感覚器官はますます劣化してるかもしれないのだ。

 

 

 

見えて当たり前、聞こえて当たり前が高望みの時代になっている。

 

 

大事なものは大切にしたいものだ。

自己啓発本にうんざりしてる世間

タイムラインを、

 

あるツイートに対する引用リツイートが

 

立続けに流れていた。

 

そのツイートがこれ。

 

 

 

 

このツイートに対するリプや引用リツイートはおおむねその内容に対して否定的だ。

 

しかし、次の指摘のようにツイート主が何かをしたわけではないのでとんだトバッチリなのだ。

 

 

 

 

ツイート主は悪くないという前提で、

 

このツイートがなぜそこまで嫌われたのかについて

 

さまざまなツイートを見ながら想像してみた。

 

 

紹介されてる本の多くが自己啓発ジャンルの本であり、なおかつ各種のセミナーやネットワークビジネスの勧誘の場で教材として使われるような本であることで、嫌な思い出を持ってる人が多そうに感じられる。

 

 

巷でカリスマ編集者などと持て囃される人が関わる本のようでもある。

 

著者が読者にアピールしたい内容ではなく、編集者が書かせたい内容でまとめ上げられてるようなのだ。

 

本が売れないと言われる中で売れる本の顔ぶれも変わっているのだと感じる。

 

本市場は、ブックオフの存在もあり比較的早い時期から転売市場が成立していた。

 

従来の古本屋がマニアックな存在なのに対しブックオフはカジュアルな存在で気軽であることも大きかっただろう。

 

ベストセラーになったタレント本など一度読んだらもうどうでも良いものや、どうせゴーストライターが書いたんだろうと思われてる本は、新刊として売れてる段階からブックオフにも並んでいた。

 

なんとなく無意識のうちに、良い本は売れる部数も多いが、その後ブックオフなどに出回らないことで良さが証明されると思うようになった気がする。

 

それなりに売れてもすぐに手放さられる本は(本に限らないだろうが)、読むことで(使うことで)自分には必要ないと気付くのだろう。

 

このような経験を何度かすると、自然にブレーキがかかったり、出くわさないように回避するようになるのは自然なことだ。

 

冒頭のツイートは、そういう人の琴線に触れたのだろう。

 

 

ちなみに印象に残ったのは辛口で有名な方が発したツイートで、それを紹介して終わり。

 

 

 

 

 

学歴や過去が大好きな日本人!

Twitterを見てると、

 

医者や東大を出た人たちの中には、

 

卒業してかなり経ってるはずなのに、

 

嬉々として学歴を話題にするのをよく見る。

 

そのようなツイートに対しては同じ属性の同類が

 

即座にリプを返すのは珍しくない。

 

 

そういうことを感じさせる話題がまた流れていた。

 

 

 

 

『学歴なんて関係ない』という意見も多いが、日本では学歴はとても重要なようだと感じるのは、人としての本質とは関係ないとことで学歴が指標として機能することがあるからだ。

 

いや、むしろ学歴こそが人としての本質だと思ってるかのように。

 

学歴というよりも出身大学、東大出身者の場合だと出身高校でヒエラルキーが出来上がるという学歴マウントも根強いとTwitterは教えてくれる。

 

 

テレビで『東大王』などというタイトルの番組が成立するのは日本だからのように感じる。

 

GoogleTrendsで学歴を検索可能な2004年以降で見ると、

 

Google Trends『学歴』 2004年以降

 

着実な微増傾向が感じられるのは、日本の学歴志向が閉塞感を高めてるようにも感じられ、学歴マウントの頂点に近いところに位置してる人も決して幸せではないのかもしれないと勘繰りたくなる。

 

 

 

 

2014年に次のような記事が出ていた。

 

優れたリーダーに学歴は関係ない。Googleが自社社員をデータ分析して得られた意外な知見

Googleは、直感に頼らない、エビデンスベースのアプローチをとることで、昔から言われている「優秀なチームを構築する知恵」の数々を覆してきました。例えば同社では2年に1回、全社員が上司を12~18の要素について評価する「上方フィードバック評価」を行なっています。

 

 

日本の学歴重視ぶりは長年の伝統芸でもあるようだが、最近に関していうとスマホ脳に毒されてるからのようにも感じられ、同じ学歴重視でもどこかで分断が起きてるように思える。

 

 

未来よりも過去が気になってしょうがない日本人は思ってる以上に多そうだなと思えてくる。

 

学歴や過去が大好きな日本人!

Twitterを見てると、

 

医者や東大を出た人たちの中には、

 

卒業してかなり経ってるはずなのに、

 

嬉々として学歴を話題にするのをよく見る。

 

そのようなツイートに対しては同じ属性の同類が

 

即座にリプを返すのは珍しくない。

 

 

そういうことを感じさせる話題がまた流れていた。

 

 

 

 

『学歴なんて関係ない』という意見も多いが、日本では学歴はとても重要なようだと感じるのは、人としての本質とは関係ないとことで学歴が指標として機能することがあるからだ。

 

いや、むしろ学歴こそが人としての本質だと思ってるかのように。

 

学歴というよりも出身大学、東大出身者の場合だと出身高校でヒエラルキーが出来上がるという学歴マウントも根強いとTwitterは教えてくれる。

 

 

テレビで『東大王』などというタイトルの番組が成立するのは日本だからのように感じる。

 

GoogleTrendsで学歴を検索可能な2004年以降で見ると、

 

Google Trends『学歴』 2004年以降

 

着実な微増傾向が感じられるのは、日本の学歴志向が閉塞感を高めてるようにも感じられ、学歴マウントの頂点に近いところに位置してる人も決して幸せではないのかもしれないと勘繰りたくなる。

 

 

 

 

2014年に次のような記事が出ていた。

 

優れたリーダーに学歴は関係ない。Googleが自社社員をデータ分析して得られた意外な知見

Googleは、直感に頼らない、エビデンスベースのアプローチをとることで、昔から言われている「優秀なチームを構築する知恵」の数々を覆してきました。例えば同社では2年に1回、全社員が上司を12~18の要素について評価する「上方フィードバック評価」を行なっています。

 

 

日本の学歴重視ぶりは長年の伝統芸でもあるようだが、最近に関していうとスマホ脳に毒されてるからのようにも感じられ、同じ学歴重視でもどこかで分断が起きてるように思える。

 

 

未来よりも過去が気になってしょうがない日本人は思ってる以上に多そうだなと思えてくる。

 

学歴や過去が大好きな日本人!

Twitterを見てると、

 

医者や東大を出た人たちの中には、

 

卒業してかなり経ってるはずなのに、

 

嬉々として学歴を話題にするのをよく見る。

 

そのようなツイートに対しては同じ属性の同類が

 

即座にリプを返すのは珍しくない。

 

 

そういうことを感じさせる話題がまた流れていた。

 

 

 

 

『学歴なんて関係ない』という意見も多いが、日本では学歴はとても重要なようだと感じるのは、人としての本質とは関係ないとことで学歴が指標として機能することがあるからだ。

 

いや、むしろ学歴こそが人としての本質だと思ってるかのように。

 

学歴というよりも出身大学、東大出身者の場合だと出身高校でヒエラルキーが出来上がるという学歴マウントも根強いとTwitterは教えてくれる。

 

 

テレビで『東大王』などというタイトルの番組が成立するのは日本だからのように感じる。

 

GoogleTrendsで学歴を検索可能な2004年以降で見ると、

 

Google Trends『学歴』 2004年以降

 

着実な微増傾向が感じられるのは、日本の学歴志向が閉塞感を高めてるようにも感じられ、学歴マウントの頂点に近いところに位置してる人も決して幸せではないのかもしれないと勘繰りたくなる。

 

 

 

 

2014年に次のような記事が出ていた。

 

優れたリーダーに学歴は関係ない。Googleが自社社員をデータ分析して得られた意外な知見

Googleは、直感に頼らない、エビデンスベースのアプローチをとることで、昔から言われている「優秀なチームを構築する知恵」の数々を覆してきました。例えば同社では2年に1回、全社員が上司を12~18の要素について評価する「上方フィードバック評価」を行なっています。

 

 

日本の学歴重視ぶりは長年の伝統芸でもあるようだが、最近に関していうとスマホ脳に毒されてるからのようにも感じられ、同じ学歴重視でもどこかで分断が起きてるように思える。

 

 

未来よりも過去が気になってしょうがない日本人は思ってる以上に多そうだなと思えてくる。

 

みんなアイデアが出なさそう

みんな前向きに悩んでいるんだなと感じられるツイートを見かけて懐かしさを感じた。

 

 

 

有効な手を打てないからと言って、決して手をこまねいてるだけではないのだ。

 

 

このツイートを見て25年くらい前の話を思い出した。

 

仕事で車のエアロパーツやチューニングをやってる会社の社長と付き合いがあった。

 

その界隈では超有名人で日本だけでなく世界で通用する人だった。

 

その社長がデザインしたパーツのコピー商品が東南アジアで作られ市場に出回ってることに頭を痛めていた。

 

わたしが『形が似てるだけの粗悪な劣悪品なんじゃないですか?』と言うと、『そういうのもある』と。

 

実際に粗悪品に対する訴訟も起こされたことがあるらしいが、そういうのは実際に作ってるものとの比較で偽物認定されるので排除出来たらしい。

 

 

しかし、厄介なのは特にタイで作られるモノだと言っていた(25年くらい前の話、念のため)。

 

素材の品質は全く問題ない上に、デザインに対する忠実度も加工精度も全く問題なく、自分(社長)が見ても悪い商品だなんて思えないものが格安で出回っていて恐ろしくなる、と。

 

 

まだ、モノづくりの現場ではアナログな手法が多かった頃でもこの有り様だったのだ。

 

アナログ時代の日本の優位は、日本人の手先の器用さと生真面目さに負うものが大きかったのだが、それが武器にならなくなり、さらに時代が変わると日本人は手先が器用でもないし生真面目でもなくなってしまったように感じられる。

 

 

持ってた武器が武器として通用しなくなり、持ってたはずの武器すら失ったのだと考えると妙に納得できる。

 

 

権利関係や良識はさて置き、何でもかんでもコピー可能な現代ではオリジナリティを持たない人や企業の武器はコピーしかないのだ。

 

コピーが武器とは、巧妙な後出しジャンケンが勝つためには有効だということだ。

 

 

訴訟を避けて上手にコピーするか、コピーしたくても簡単には出来ないような仕組みを作るか。

 

オリジナリティを作り上げることと並行してコピーしたりされたりを常に意識しなければいけないが、おそらくコピーの比重が増しているのが現代だろう。

 

 

ごくごく一部の勝ち組以外は、あらゆる分野でオリジナリティがまるでない生き方を強いられているのだ。

 

 

大きなスーパーや量販店に行けば同じような商品が多数あり、大きな本屋に行っても同じようなタイトルやテーマの本が多数ある。

 

 

きっとみんなアイデアが出ないんだろうなと思えてくる。