アナログしか無かった時代を知っている。
記憶だけを頼りに思い起こすと、デジタルは、デジタル表示として現れた気がする。
新しさを感じさせ、スマートさを感じさせた。
アナログとの違いは、デザインの違いとして認識したような気がする。
しかし、イノベーションは感じなかった。
個人的にイノベーションを感じたのは、ラジオのチューニングがデジタル表示になったときだ。
時期で言うと1970年台の後半と記憶してる。
この時期以降、デジタルが新、アナログが旧という対比で認識されるようになった気がする。
デザインとしてのデジタルがまだ野暮を感じさせることもあった。
当時、先進性をアピールするためにデジタルメーターを採用した車のインパネはデザインという意味での評価は低かった。
技術とデザインがバラバラだったということだろう。
やがて、デジタルはデザインから制御にメインがシフトする。
つまり、バックグラウンドでプログラムが動く世界に入っていった。
この変化は、目に見えないところで進むことになる。
これ以降のデジタル化は、人間の感じ方や行動の根幹に影響を与えるようになった気がする。
デジタルが、0と1の組み合わせと言うのはよく知られてる話だ。
このことをもう少し具体的にいうと、ONとOFFの組み合わせということだ。
デジタルが人間の感じ方や行動に影響を与える例として一番強く感じるのが自動車だ。
人間が操作するのは、基本アクセルとブレーキとハンドルの3つ。
トランスミッションの操作もあるが大きな要素ではない。
この3つのうち、ハンドルはデジタルの要素の介入は小さいだろう。
アクセルとブレーキに関しては、デジタルの介入の度合いが大きいということに気付いてるだろうか?
アナログ制御の時代の車を上手に走らせるには、それなりのメカ知識と繊細さと大胆さのバランスが要求された。
フル加速したいときに、無造作にアクセルを全開にするとかえって遅いということがあった。
それが、運転の楽しさにも繋がっていたし、そのバランスの高さが熟練度の高さを示していた。
今、車は完全に道具になった。どんな人が乗っても一定の運転が可能なように設計されなければならない、熟練度に関係なく。
初心者や老人が、ラフな操作や乱暴な操作をしても許容できる設計が施されている。
しかし、このようなデジタルの介入は、アナログで熟練度を高めた人には不自然な反応に映る、不自然な反応に対応すれば良いだけだがスッキリしない感がつきまとう。
一例を上げただけだが、デジタル制御は、スペック重視の感覚軽視が向いている。
アナログ制御は、感覚重視で使いこなすには熟練が要求される。
安全安心が関係するインフラ的なことは、デジタル制御で。
趣味や遊び、楽しむことを追求する時は、アナログ制御で。
しかし、アナログは減っていくばかりだろう。
最後に残るアナログは、人間を含めた生き物だけになるかも。
人間が、手作りするものがすごく貴重になるかも。
人生を楽しむコツは、スペックで測れない世界を知ってるってことかもしれない。