違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

二種類の『マニュアル』!

決められたことに従うだけで、一切の融通を利かせないような反応をする人をマニュアル人間などと呼ぶことがある。

 

本来のマニュアルには手引書という意味があるが、マニュアル人間と呼ぶ場合のマニュアルは手引書の意味が強い。

 

しかし、前置きなしで使われるマニュアルという表現には、自動やオートの反対の意味としての手動の意味もあり、そこには融通性など様々な柔軟性が介入するという意味で、同じワードでありながら真逆の意味を持っている不思議なことばだ。

 

同じワードでありながら複数の異なる意味を持つものは多いが、そういうものの一つにあげられるのがshooting。

 

射撃も写真撮影も英語で書くとshooting。

 

共通点は狙って押すという行為であり動作。

 

高倍率のズームレンズで撮影する場合に発生する壮大な手ブレを経験すると、小さな標的を狙う射撃というのは超高倍率のズームレンズを使いこなすのと共通してそうだ。

 

高倍率のズームで撮影する場合、三脚にカメラを据えていてもシャッターを押すその小さな動きですら手ブレが発生する。

 

ライフルを固定して遠くの標的を狙うような場合、引き金を引く動作以外に、自分の心臓の動きである脈の変化でもブレが発生するらしい。

 

このようなことを考えていたら、マニュアルとshootingのつながりが見えてきたという話を書いてみたい。

 

究極的には、人間の動作につきまとう不安定さと融通性は紙一重で、不安定さがプラスに出る場合に熟練の技とか高度なテクニックと呼ばれてるのかもしれない。

 

そして、マイナスの不安定さを解消するためにオートマチックという仕組みやシステムが生まれたのではないかと思えてきたのだ。

 

自動車のオートマチックが頭に浮かぶ。

 

自動車の場合、オートマチックの普及が一気に進んだのは記憶を頼りにすると80年代の後半頃になる。

 

その頃のオートマチックに対するイメージは、運転することに興味がないか下手な人が使うものだった。

 

明らかに走行性能や動力性能が劣っていたからだ。

 

逆にいうと、万人向きになったとも言える。

 

自動車の基本操作は大きく3つある。

 

  • アクセルやブレーキの操作
  • 安全確認してのハンドル操作
  • 走行状態に応じてのギアチェンジ

 

3つ目にあげたギアチェンジがマニュアル操作の場合、運転を楽しめない人にとってはギアチェンジというのはとてもストレスがかかるらしく、それゆえに運転したくないと思うらしい。

 

さらに、ギアチェンジの前に判断が必要になる『走行状態に応じて』というのも、運転を楽しむ気がない人にはストレスになるようだ。

 

日本では車の98%がオートマチックだと言われているが、運転に興味がない人が多いというだけではなく、技術の進歩でマニュアルに劣るのがオートマチックという位置付けが逆転したからでもある。

 

 

同じことは、アナログからデジタルへ移ったカメラにも当てはまる。

 

デジタルカメラ(スマホを含む)しか使ったことがない人にとっては当たり前のものにオートフォーカスがある。

 

撮りたい被写体に焦点を合わせるのは現代ではカメラが担う役割となっていて、そのフォーカス性能が優秀なものほど価格が高い傾向にあるが、昔はフォーカスは人が合わせるものだった。

 

オートマチックやマニュアルという対比で捉えられていないようなことでも、似たようなことが多数ありそうだ。

 

分からなことを調べる場合、昔だったら紙の辞書や辞典や参考書を調べていたが、現在は検索でたどり着けるし、それがWikipediaであればまさに知識の金太郎飴といえそうで、便利であるとともにおもしろみが減るような気もするが、内容がびっしりと書き込まれたWikipediaを見て、全部に目を通してる人と部分を摘んでる人では差が付くはずで決して金太郎飴にはならない。

 

この差は、優劣のような種類の差ではなく、個性の幅のような差になりそうな気がする。

 

検索してWikipediaを開くところまではオートマチックの一種と言えそうだが、開いたWikipediaをどう読み込むかは極めて手動のマニュアル的な行為になる。

 

 

オートマチックは、便利だが没個性と紙一重な気がするが、そこにマニュアルという隠し味が加わると、深みが増す気がする。

 

 

いつの頃からか、予定調和というのが現代のキーワードになってるが、これっていろんなことがオートマチックになったからかもしれない。

 

優劣や効率と相性が良いのがオートマチックかもしれないが、人間が主人公の場合、それだけでは物足りないことが多いのだ。

 

オートマチックに対するマニュアルには、より大きな楽しい気持ちいいがありそうな気がする、優劣や効率という尺度では測れないのだ。

 

 

生きていて、仕事だろうと遊びだろうと、物足りなさを感じる場合、マニュアル操作な何かの要素に目を向けると思わぬ気付きが得られるかもしれない。