以前下記を書きながら感じた事。
真実は、唯一無二として存在できるのだろうか?
真実という、唯一無二の存在を疑っているのではない。
- 表現された途端に、ある角度から光が当てられ、同時に影が発生する。
- その表現に接する人が、どういう立ち位置で接するかで形が違って見える。
- どういう感情の時に接するかで、受け取り方が変わる
同じニュースについて自由に話をしたら意見が合わない事はよくある。
プレゼンをする場合、意見が分かれては困る。
光をどこから当てるのか。
感情を掴み、理屈で補強する必要がある。
発せられる情報や表現は、意図を持っている。
意見や考えを表現する事は、自分自身の広告宣伝活動となる。
そんなつもりがなくても。
表現してる内容そのものだけではない、どんな姿で、どんな口調で、どんな言葉で、誰を相手に行うかで、伝わり方も伝わる内容も変わる。
そう考えると、センスやテクニックが大事になる。
要は、訓練が可能なのだ。
生きる事とは表現する事。
特別な事を指してるわけではなく。
これなんかも表現の仕方が関係してるかも?
結構ショックを受けるのか、案外平気なのか、どっちだろう?
表現にもトレードオフがある例。
部下を大事にしてるのは分かるが、部下から見ると・・・
みんな、自分という看板を背負ってる。
早く気付いて、意識して振舞った方が得かも。