「道路」と「駐車」に金を払う事に昔から抵抗があった。
金を払うことが、知恵比べに負けるような気がしていたからだ。
もっと具体的に言うなら、身近な「道路」や「駐車」に躊躇なく金を払う連中があまり好きじゃなかったからだ。
随分昔の話。
この連中がしきりに言っていたのが、「時は金なり」だった。
最短距離を最短時間で行くのが最も合理的だと。
しかし、この連中に「さすが!」と思えるようなことを感じたことは一度もなかった。
むしろ、時間とお金にルーズな人間にしか見えなかった。
その後、ビジネス面でも事あるごとに「時は金なり」は耳にした。
たいていの場合、上司が部下に使うことばだ。
ずっと長い間、内容にも賛同しないし、そもそもことばの響きが嫌いになってしまっていた。
それから◯十年。
最近ふと気づくと、「時は金なり」論者になってる自分がいた。
しかし、一般的に使われる意味合いとは違った意味でだ。
今までの行いや経験を過去に繰り返し、その結果「今のわたし」がいるわけです。
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キッカケは、何気なく頭に浮かんだ365歩のマーチだった。
1日1歩、3日で3歩
100日100歩、1000日1000歩
次に浮かんだのが、「健康のため1日1万歩きましょう」だった。
1日10,000歩
10日で100,000歩
1年で3,650,000歩
10年で36,500,000歩
今の自分は直近10年間の積み重ねの結果であるという理屈に従うならば、1日10,000歩に満たない歩数は、健康負債になるのだろう。
今日は8,000歩だが昨日12,000歩の場合は、負債なしが成立するだろう。
この考え方をする場合、今の日本人は大半が健康負債を大きく抱えていて、自己破産予備軍となってるかもしれない。
意識が高い人は「ジムに行ってます」というが、日常的に歩くことすら習慣にない人は、ジムに行ってもシャワーを浴びてるだけだろう。
このようなことを考えてる時に、「時は金なり」が浮かんだ。
合理的に考え、行動した結果、歩くことすらしなくなり、大きな健康負債を抱えてる場合、負債を返すために何を為すべきか、選択肢はあるだろうが高く付きそうだ。
歩くだけでも様々な意見があるので、自分なりにリテラシーを高めて判断する必要はありそう。
ビジネスについて考える時は、ちっとも心に響かなかった「時は金なり」が、健康や体力を考えるとすごくしっくりくる。
過去はどうしようもないが、未来は変えられる。
10年後後悔しない生き方をしたいものだ。