声が大きいというのは、大事なことだと言われて育った。
小さな声だと伝わらないからだ。
人の上に立ち、部下を統率するのにも大きな声は必要だし、エンタメの世界でも声が大きく出せない人は人気も存在感も無かった。
だからビジネスや子供教育の世界では大きな声を出すということは良いことだと思っている上司や先生は多いかもしれない。
声が大きいだけで、存在感も説得力が出て、自分の意見が通りやすくなります。
存在感も説得力があると、社内では仕事のできる人という印象が強くなります。
しかし、Googleで「声が大きい」で検索すると、上位にヒットするのはネガティブなものばかりだった。
もともとは声が大きいということは、自分の考えや意見をはっきり言えるという解釈が一般的だったが、現在ではその意味も残っているが、新たに「空気を読まずに意見を押し付ける」という意味合いが加わってきてるようだ。
その場合、声が大きいとは本来の意味であるボリュウムが大きいとは少しニュアンスが違ってくる。
わざわざ「フジロック行ってきた」と報告される問題
無干渉社会を望みたい 山本一郎
この時期になると、身の回りで「フジロックに行ってきた」ってわざわざ私に自慢する親父がたくさん出るんですよね。あっ、はい。いや、興味ないんですよね。ギターとか楽器はやってましたけど、忌野清志郎も死んだしパソコン作業中に音楽聞く習慣もなくなったので。いまはもっぱらホワイトノイズ聞きながら原稿書いたり調べものしたりしています。
大きな声が嫌がられる現象は、メジャーな存在がマイナーな地位に転落してあがいてる姿を見苦しく感じるのに似てる気がする。
声が大きいことの背景に、存在としてメジャーな側にいるという自信と強みがあるように感じられた時代が確かにあった。
男性の喫煙率、82.3%!どこでもタバコが吸えた「昭和の喫煙事情」
JR(昭和62年以前は「国鉄」)の中距離電車(東海道線など)には車内に灰皿がついていて、飛行機も国際線・国内線ともに、喫煙席が設けられていました。
小学校でも教室でタバコを吸っている教師がいましたし、学校によってでしょうが、職員室はタバコで煙っていたものです。
子供の頃からずっとタバコが嫌いだった私は、自分もいつか喫煙するかもと想像することがあったが、全くイメージできなかった。
だから友人が未成年にも関わらず、一人また一人と喫煙者になっていくのが全く理解できなかった。
「タバコって美味しいのか?」と質問すると、一様に「不味い」と返事、でもやめない。
自分がずっとマイナーな側にいることで、大きな声を上げづらい感じを味わっていた。
しかし、時代は変わった。
特に20代の減少幅が目立っており、男女ともに若者はタバコを吸わない傾向が顕著になっていました。
大人数が集まるイベントがある。
そういうイベントの周りには、行きたくても行けない人が、行ける人の10倍も100倍もいるだろうということが容易に想像できた時代が昔はあった。
例えばプロ野球。
最近は球場に野球を見に行く人は相変わらず多いが、テレビ中継が少なくなった。
球場に行ける人の10倍も100倍もいたテレビで野球を見ていた人が、いなくなったのだ。
メジャーな存在であることが自信の源だという人は意外に多いだろう。
そういう人達は、ふと気がつくと、自分がマイナーな存在になってると気付いた時、夏だと思っていたのに秋風を感じたときのような寂しさを感じるだろう。
一方逆のパターンもある。
その昔、存在を示す言葉すら無かった「おたく」という存在。
https://ja.wikipedia.org/wiki/おたく
辞書的には、ある趣味・事物には深い関心をもつが、他分野の知識や社会性に欠けている人物として説明される。1990年代頃からは否定的な意味は薄れ、肯定的に用いられるようにもなったという。なにかの趣味に強いこだわりをもつ人物という意味でも使われる。
その存在が地下に潜っていた”おたく”は、その存在を一般に認識されるまでは、気持ち悪い人というくくりで語られていた。
野球ファンの隣に野球ファンがいるのは当たり前だったが、”おたく”の隣に”おたく”がいることはイベント以外ではあり得なかった。
そして気がついたら、趣味に強いこだわりを持つ人を肯定的に表現することばとして、超マイナーな存在からメジャーな存在へ移ることができていた。
メジャーな存在である”おたく”は、自信に満ちて声が大きくなってるだろう。
マイナーな存在がメジャーな存在になる時は、内輪でしか通じなかった言葉に汎用性が出てきたりする。
「やばい」という言葉に侵食されてゆく日本語コミュニケーション
一方でメジャーな地位を追われ、マイナーな地位に追いやられた人達は悲痛な叫びを上げている。
通じてた言葉が通じなくなる、そんなイメージが叫びを上げさせるのだろう。
メジャーになったりマイナーになったり、地位が上がったり下がったりすると人は声が大きくなるが、仲間内でしか通じない言葉を用いるため、普通の人は煙たく感じる。