今年の夏の猛暑の日差しの強さのせいなのか高温のせいなのか例年の夏だと大丈夫な植物が枯れてるのを見ることがあった。
土地が痩せていて作物が育たないことを不毛と言う。
転じて無駄とか徒労という意味で理解していた。
今年の夏見た枯れた植物は不毛ゆえではないのだが、なぜか不毛が脳裏を過ぎる。
不毛と相性が良いものに議論がある。
もちろん実り(答えや結論)がないという意味だ。
「酒の方が酷いと思う」「タバコばっかり目の敵だよね」 ビートきよしが「喫煙者叩き」風潮に苦言
不毛(な議論)と苦言が結びつくのを見てると、不遇も似てるなと思い出した。
運が悪くて相応しい地位や評価が得られないのが不遇。
不遇の場合は嘆きだ。
苦言の不毛に対して嘆きの不遇。
GoogleTrendsで『不毛』と『不遇』の推移を比較可能な2004年以降で比較すると、
まあ僅差の動きだと言えそう。
ちなみに都道府県で違いがあるかを見ると、
すべての都道府県で不毛が上回っていた。
では期間を最近5年にして見ると、
果たして意味があるのか不遇が増えている。
都市部で不毛が多いのに対して地方で不遇が多い、色分けだけ見ると勝手に想像は膨らみそうだが、実際には僅差だと思われる。
さらに期間を最近1年にして見ると、
不遇が増えている。
見せ方のトリックだとは言え、日本国民の多くが『こんなはずじゃなかった』と不遇を嘆いてる姿を想像してしまうし、その理由も容易に想像出来そうな気がしてしまう。
運が悪いと不遇を嘆いてる人は、いよいよ追い込まれると不毛な議論にエネルギーも時間も割く気はなくなるだろう。
不毛な議論の多くは正論だとしても、エネルギーや時間を割く気になるのはむしろ闇バイトの方かもしれない。
自分のことを運が良いと本気で思えてる人や、日々充実を実感してる人は、不毛な議論を好む傾向にある。
シーズンオフに入るプロ野球では戦力外通告を受ける選手の話題も聞こえてくる。
プロ野球の選手になれた頃は運の良さも実感していたはず、しかし活躍してもしなくても戦力外通告を受けると不遇を嘆くだろう。
不遇を嘆いてるであろう選手を酒の肴にしながら戦力外通告について議論するのはおそらく不毛の極みだが、議論してる者はきっと充実を実感しながら自説を論じるはず。
『他人の不幸は蜜の味』とはよく言ったものだ。
ところで不毛な議論と通じそうな議論には、『議論に勝っても得なんかない』がある、坂本龍馬のことば。
最近はやりの論破(ちょっと古いかも)と同じで、論破した方は気持ち良いけど論破された方の心中はいかにだ。
知らず知らずのうちに、不毛と不遇のシーソーに乗ってる人が増えてそうな気がする。