本や雑誌が売れなくて廃刊されたり本屋自体が減り続けてることを考えながらふと思ったこと。
多様化って、少数のメジャーが縮小し多数のマイナーに分散するってことと似てるなと感じた。
一方で、マイナーが多数存在するのはプラットフォーム上で、そのプラットフォームは少数のメジャーな存在だ。
プラットフォーム上では、機械化自動化が日進月歩で進化している。
プラットフォーム上では機械化や自動化と親和性が高いことは新しいテクノロジーを活用することが最も賢明になる。
必然的に、これから人間にとって活躍の分野は、自分が属するプラットフォーム上での、マイナーで機械化や自動化と相性の悪い分野になる。
大事なことは、その分野が何になるのかを見つけることであり、気づくことだ。
もちろん別のプラットフォームに乗り換えることも選択肢に入るが、そこでもマイナーで機械化や自動化と相性が悪い分野を探すことになることだけは同じだ。
各分野で機械化や自動化と関わっている人ほど遅かれ早かれ自分という存在が危うくなる日が来ることを優秀な人ほど感じているだろう。
分散化や流動化の拡大は、人によっては目の前から次々と知ってる人が消えていくように見えてるだろう。
多様化は分散化であり流動化でもある。
去る者は老兵とは限らず、去ってしまうと日々に疎くなる、つまり人間関係も多様化し分散化し流動化して行くのだ。
人はたくさんいても、今以上に知らない人ばかりになる。