”男と女はメビウスの輪(帯)“だと、東野圭吾は著書『片思い』の中で表現している。
”男らしい“や”女らしい“は、凄く限定的な見方で、実際には男の中にも女性性があり、女の中にも男性性があるし、その度合いは人さまざまでグラデーションを描くようなものかもしれないと表現している。
このように考えると、男も女も色んな考え方や振る舞い方があっても少しも不思議ではない。
しかし古来、男はこうあるべし、女はこうあるべし、的な考えに束縛され続けてきた、特に日本は。
表面的な自由が拡大した現在、プライベートな行動は本当に多様化している。
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しらべぇ編集部が全国の20~60代の男女1,376名を対象に「ストーカー被害」について調査を実施した結果、全体で約1割にあたる人が「経験あり」と回答した。
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将来は渋谷のギャルに筋トレを流行らせたいという夢を持つゆんころさん。
男性で化粧をしている人は、キレイでいたい、若いままでいたい、など女性ならよく理解できる心理を持っています。
男がするものだと思ってること女がしたり、女がするものだと思われてたことを男がするということが増えている。
多様化を示す現象と捉えられたり、ユニセックス化や男の草食化と言われたりするが、これらの現象は全て社会から受ける影響が変化してることを示している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/社会的影響
社会的影響(しゃかいてきえいきょう)とは、個人間や集団間において、一方が他方の行動、態度、感情などを変化させること。
社会的影響は、その社会の中心にいるほど受けやすく、外縁部にいるほど受けにくい。
インターネットが普及するまで、多くの情報は社会の中心から一方通行でマスコミを通じて発信されていた。
戦後”一億総貧乏”を経て、高度経済成長時代が”一億総中流”を実現し、常に日本には大きな社会の中心が存在していた。
だから”寄らば大樹の陰”が最も賢い選択として成立していた。
そしてバブル経済崩壊後の景気低迷が招いた成熟時代を迎えて、徐々に社会の中心が小さくなり、その外縁部が大きくなっていった。
どこで誰と知り合うか予測できなくなっている。
しかし、そのことの重要さに多くの人がまだ気付いてないかもしれない。
インターネットやSNSなどで表面的な流行が変化してるだけと捉えて、深く考えていないかもしれない。
社会の中心が大きい時代には、無意識のうちに同調行動を取り、同調行動を取らない者が外縁部に追いやられていた。
しかし、社会の中心の縮小が徐々に進み、外縁部にシフトしたり、押しやられてる人がぞくぞく増えてるが、社会の中心の縮小は景気の低迷や成長率の鈍化のせいで社会全体に及んでいて自分は相変わらず社会の中心にいると思い続けていて、実は自分は外縁部にいるということを自覚できてない人は意外と多そうだ。
社会の外縁部にいる人は、同調行動に活路を見出すことはできない。
社会的影響は、その社会の中心にいるほど受けやすく、外縁部にいるほど受けにくい。
この場合の社会的影響には社会から受ける恩恵も含まれる。
社会の外縁部に属する人が増えることは低所得化にも繋がったが、デフレ経済とネット経由での情報取得や一部のエンタメはフリー(無料)化で楽しめるので、自己マネジメントができれば生活は成り立つようになった。
インターネットの普及は、双方向の情報のやり取りを可能にし、社会の外縁部から発せられる情報が増え始めた。
社会の外縁部が拡大するに連れて顕著になってきたのがポピュリズムと言われる現象だ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ポピュリズム
一般大衆の利益や権利、願望、不安や恐れを利用して、大衆の支持のもとに既存のエリート主義である体制側や知識人などと対決しようとする政治思想、または政治姿勢のことである。日本語では大衆主義や人民主義などのほか、否定的な意味を込めて衆愚政治や大衆迎合主義などとも訳されている。
現在ポピュリズムと括られてる現象は、実際には少し違っていて、社会の中心から発せられる情報(政治的なメッセージや大企業のメッセージ)を拠り所にできないという想いから生まれてるものがあり、そのことは別の拠り所を求める動きを示しているのかもしれない。
つまり、迷える子羊になるということだ。
自分が何をしたいか?
自分がどうありたいか?
よりも、
他人から自分がどう見えるか?
他人はどう考えているのか?
が関心事になる。
「他人」の部分は、具体的な誰かを意味することもあるが、人が拠り所になっているということを示している。
そんな新しい拠り所になっている他人は、個人で雄弁に情報を発する人達で、その発する言葉や行動が人を惹き付けているのだ。
そういう人達はインフルエンサーと言われている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/インフルエンサー
インフルエンサー(influencer)は、世間に与える影響力が大きい行動を行う人物のこと。
現在では、SNSでフォロワーの数が多いことがインフルエンサーの条件として定着しつつある。
アイドルや芸能人のファンが追っかけをすることとストーカーの行動の違いに差がなくなっているし、アイドルや芸能人とフォロワーの多い人の違いも差がなくなっている。
インターネットの普及は人と人の出会いのハードルを下げ、SNSの普及が知らない者同士の日常会話でのコミュニケーションを可能にした。
実際には顔見知りではない人にリアリティを感じ、共感しあったりを、誰でも出来るようになったことは改めて考えると不思議であるとともに、このことを上手に活用できるかどうかで凄く大きな差が付くだろう。
このことは諸刃の剣であるのでリテラシーが問われ、冒頭で引用した多様化するストーカーにも繋がる。
新手のサイバーストーカーは、ツイッターなどのSNSを通じて、無数につながる人どうしで起きることが特徴です。
いろいろな分野でフォロワーが多いということが新たなヒエラルキーを築き始めている。
現在フォロワーが多い人達は、著名人や有名人以外では、インターネットやSNSが普及の手探りをしてる頃の先駆者的な取り組みをしてた人達が多い、彼ら彼女らの行動は多くの人の道標になったからだ。
私にとってのインフルエンサーで、フォロワーが多い人を上げると、
池田信夫さん(289,640人)
佐々木俊尚さん(794,743人)
田端信太郎さん(122,823人)
ちきりんさん(235,277人)
山本一郎さん(115,138人)
(並びはあいうえお順でフォロワー数は2017年12月10日現在)
現在、フォロワーが多いということは広告宣伝の一つとして評価されている。
『良いものが売れるのではなく、売れるものが良いものだ』という考え方が今では一般的だが、この考え方ではフォロワーの数をテレビの視聴率と同じように単純に数字が大きいことを評価する。
ただ繋がってるだけだと意味が無くて、繋がり方や関係性が重要になる。
インスタグラマー「自動フォロー業者」が告白する“グロースハック”の実態
「美容院や飲食店はホットペッパーから集客していたが、掲載料が高い。そういうプラットフォームよりも、個々がSNSから集客するようになった。脱リクルートがある」
現在、インフルエンサーと言われる人達が影響力を発揮できるのは、タイムライン上を流れる膨大な情報の取捨選択の巧みさにある。
つまり、起きたことを如何に早く確実に把握し、それをすぐに発信できる点で優れているから価値がある。
これは、事情通が特ダネを掴むという従来型の価値でもあるし、なんてことない情報を特ダネに仕立てるセンスでもある。
インフルエンサーは、事情通であると同時に優れた洞察力を持ってるだろうが、これからはより洞察力に重きがシフトする。
そうなると事情通であることが障害になることが出てくるかもしれない。
おそらくこれから2〜3年でフォロワーが多い人が質的に従来と違ってくるだろう、より洞察力が問われるようになり、インフルエンサーの顔ぶれが変わりだすだろう。
『売れるものが良いもの』から『良いもの(だけ)が売れる』に向かうならば。