違う見方

これから時代はどう変化するのかを時事ネタを交えて考察。考える際のヒント。気付くためのヒント。

体の外に増えるセンサーとアンテナが、体を蝕む

監視カメラ大国のイギリスが、まだ監視カメラ先進国であった1992年にはイギリスの内務省報告では、下記のように結論づけていた。

 

「監視カメラは、犯罪全体の減少につながっているのか、あるいは単に犯罪を監視地域以外に移動させているだけなのかは、定かではない。監視カメラによる監視効果はあまりないとする分析結果も示されている。概して、費用対効果分析はあまりにも粗雑と見る証言が多い。費用対効果や、監視による犯罪の恐怖及び不良行為の減少率に関する報告を用意するよう勧告する。」

 

 

それから10年後の2002年の内務省報告は下記のようなものだった。

 

「監視カメラによる犯罪防止効果は、駐車場に設置された監視カメラによって車上荒らしについては5%減少したが、繁華街に設置された監視カメラや、公共交通機関に設置された監視カメラについては、効果が認められていない。」

 

引用部分の出典はここから

 

現在の日本社会では監視カメラは社会に必要なものだと認識され、プライバシーの問題を超えて犯罪抑止が期待されてるが、上記の過去のイギリス内務省報告のレベルを超えているとは思えないが、犯人検挙には大いに役立ってる印象がある。

 

スマートフォンの普及は、移動する無数の監視カメラであると言え、かつ画像データの発信も可能なので、犯罪の発見や認知そして犯人検挙には役立っていると多くの人が認識してるだろう。

 

 

しかし、肝心の抑止にはどの程度役に立ってるかは現在でも不明だ。

 

 

現在スマートフォンの普及とネットワーク回線の能力が上がったことと、それにプラスしてドライブレコーダーやGoproに代表されるアクションカメラなどで補足される圧倒的なデータ量で、これまでは文字でしか伝えられなかった情報を画像で伝えるということができるようになってきた、しかも大規模な設備も資金も必要とせずに。

 

今までは、想像するしかなかったことが、運が良ければ画像データになっている。

 

推理するしかなかったことが、画像という証拠になる。

 

この一目瞭然性は、人間の能力を高めているだろうか?

 

心を豊かにしてるだろうか?

 

 

最初の一歩は、何から生まれるか?

 

感じたり、考えたりが最初の一歩になるような気がするが、よく考えるとその前にもう一段階あることに気付く。

 

感じたり、考えたりするのは、何かに反応して、何かがキッカケで起きるという、『何か』の存在との出会いや遭遇だ。

 

つまり、センサーとかアンテナに該当するものが、最初の一歩を生み出しているのだ。

 

五感と言われる、視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚が一般的だが、五感を超えた第六感や超能力もセンサーでありアンテナだろう。

 

人間は技術を発達させることで、体の外にセンサーやアンテナを張り巡らせ始めた。

 

自分の「カラダの声」に鈍感な人は、いい上司になれない。

バリバリと活躍する人に多いのですが

自分のカラダの調子に無頓着な人がいます。

内臓感覚というのでしょうか、

私たちはカラダからも情報を得ています。

ですが、「カラダの声」に鈍感な人は

「疲れているから休め」といったことを

カラダが言っているのに気づかないのです。

若いうちは、それでも乗り切れますが

やがてカラダを壊すことになります。

それを機にしてカラダへの無関心が

直ればいいのですが

あいかわらず鈍感だったりします。

こうした鈍感さは、個人の問題です。

でも、彼らが上司になると、いろいろと

まわりの人にも悪影響が出てきます。

上司として、部下の顔色が悪いとか

体調が崩れているのではないかと

いったことが感じ取れないからです。

部下が口で言うこと、あるいは

書類で書いてくることだけを

見ているのです。

 

 

 

 

現代では最先端の技術の世界を、最新家電に見ることが出来る。

 

CES 2018で見た3つのパラダイムシフト

1. 裏方、下請けが主役の時代に

2. プラットフォーム至上主義

3. 多国籍企業から無国籍企業に

 

これからの日本企業がするべき5つの事

1. クリエイティブ人材の獲得&育成

2. グローバルな視点と接点を持つ

3. 未来にしっかりと投資する

4. ユーザーをしっかりと理解する

5. グローバルブランド構築を真剣にする

 

 

”技術は、消費者の理解が得られなければならない”と感じたということが書かれている。

 

人間が、体の外に持ち出したセンサーやアンテナは技術の賜物だが、そんな技術が消費者の理解を得なければいけないとは、本来持っている五感と協調できるものでなければいけないと言う意味に感じられる。

 

体の外に別の目を持つことになったと思わせるほどカメラが身近になっているが、カメラがあるから目はいらないとなってないだろうか。

 

芸術家として有名な岡本太郎が写真好きだったのはあまり知られてないようだが、こんなことを言っている。

 

『絵は、どんなにデフォルメしても、自分の分際でしかない。

写真は、自分が想像してなかった、

自分を超えたものが出る。

そういうチャンスをうんと持てる人間が強いんだ』

と。

 

絵のイメージは、描く人の頭のなかにあり、それは永遠に追いかけるもので決して追いつくことはないということを意味してるのだろう、写真は撮ったつもり以上のことが撮れてることがあると言う意味だろう。

 

体の外に持つセンサーやアンテナは、五感と協調し気づきを与えてくれることで感動や驚きを感じさせてくれるものが良さそうだ。