違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

『北風の時代』から『太陽の時代』へシフトする

公益資本主義という発想は、株主資本主義のアンチとして生まれているとともに、もう1つ見逃せないのは”資本主義”は当分続くという前提から生まれている。

 

このことは、資本主義がいかに社会に浸透しているかということを示すとともに、歴史を振り返っても社会主義や共産主義は衰退したのに資本主義だけが生き残った理由があったということを理解することが大事になるだろう。

 

成り立ちに遡って考えるよりも、現在の状態から振り返って捉えるほうがわかりやすい。

 

一言で言うと、資本主義は欲に関するモチベーションを掻き立てるのに最適だったのだ。

 

だから夢中になったのだ。

 

株主資本主義は、アメリカがモノづくりの国から転落して衰退しかかったことを契機に生まれたもので、モノから法律や権利という概念に価値をシフトさせたことによって輝きを放った。

 

このことは働くということを、手や足を使うことから知恵比べに変化させた。

 

手や足を使う場合、コツコツと成果は上がるので、成果はある程度までは時間に比例する、だから時給という評価が違和感がない。

 

知恵比べの場合、勝つか負けるかとなり、評価は成果に基づくようになり、掛けた時間ではなく結果が問われるようになり、結果に対する成果報酬が馴染むようになる。

 

この2つは、社会や企業内でも混在してるので共存関係にあるが、その関係性も変化して行った。

 

成果が重視され始めた頃は、成果は1人の力で達成できたわけではないので、成果は皆で達成したと考え皆で分配するという考えが主流だったので会社の業績が良いと社員が皆喜びを共有できた。

 

しかし、徐々に成果の評価が個人に帰属するようになるとともに、会社の業績ですら社員全員の関心事でなくなって行き、自然と協調性が減っていった。

 

協調性は無くなったというよりも、持っていても表に出なくなり、損をすることと同じになりつつある。

 

現代の経営者がサイコパス気質であると言われるのも当然だろう。

 

悪いことというよりも、従来は本音と建前は共存関係にあったが、現代は本音だけになりつつあるのだ。

 

今苦しんでる人の多くは、建前の世界で生きようとしてるから苦しいのかもしれない。

 

公益資本主義と言う考えは、株主資本主義のネガティブな要素を無くせば良いのではないかという発想と実体験から生まれているのだが、その理想をかつての日本型資本主義に見ている。

 

日本人からすると時代に逆行するような感じを受けるが、もし実現すると面白いなと思うのは、日本独自の仕組みのほとんどがガラパゴスと揶揄され世界に通じない中で、一旦手放したとは言え、日本流ガラパゴスが世界に通用するかもしれないという点にある。

 

 

公益資本主義とは何なのかは本を読むのが1番良い。

 

 

「公益」資本主義 英米型資本主義の終焉 (文春新書)

「公益」資本主義 英米型資本主義の終焉 (文春新書)

 

 

 

読んでも、疑問は残るが、悪いとも思わない。

 

大事なことは、世の中がどう反応するかだ。

 

時系列で、どういう評価を受けているか見てみると約8年前池田信夫先生は下記のように辛口だった。

 

原丈人氏の奇妙な「公益資本主義」:池田信夫 2009年10月15日

原丈人というベンチャー・キャピタリストが最近、霞ヶ関では人気らしい。アメリカで投資活動をしながら「市場万能主義」や「株主万能主義」を批判しているからだろう。

 

率直にいって、この論文の内容はモリタクといい勝負の通俗的な「市場原理主義批判」で、学問的には取るに足りない。

 

 

1年前はこう言っていた。

 

 

 

 

 

これは下記のブルームバーグの記事を受けての発言だ。

 

長期マネーの誘導探る、アベノミクス手詰まり感で-成長戦略に反映へ bloomberg

ベンチャー企業への投資やその育成事業を展開している米デフタパートナーズグループ会長で、内閣府参与を務める原丈人氏は昨年12月のインタビューで、「金融緩和により円安、株高がもたらされ、一瞬はアベノミクスが達成されたかのように見られた。しかし実際に起きていたのは株価の乱高下だ」と指摘。政権も「このままではいけない」と、長期投資誘導への移行を検討していると話す。

 

そして今年に入っての発言が下記だ。

 

 

 

この発言は、今年1月12日の読売新聞の記事を受けてのもの。

 

「公益資本主義」探る議連、自民有志が設立へ 2018年01月12日

自民党議員の有志は今月にも、「公益資本主義議員連盟」を設立する。

企業が株主の短期的利益より、中長期的な視点に立った経営を優先する社会を目指す。議連会長には、岸田政調会長が就任する予定だ。

 

発足予定の議連は、企業が目先の株価の変動や短期的な業績に過度にとらわれないよう、金融商品取引法などの見直しを検討する。

〈1〉上場企業に課せられている四半期決算の開示義務の廃止

〈2〉株主の議決権の縮小

〈3〉株式譲渡益課税の引き上げ――などを取り上げる見通しだ。

 

 

この動きに賛成する人は、

 

 

 

反対する人は、

 

 

 

公益資本主義について考えていると、ハイブリッド車が頭を過る。

 

排ガスゼロ、脱化石燃料を目指して自動車開発は続いているが、電気自動車(EV)や燃料電池車(FCV)等に移行する前段階として燃費の良い車で間をもたせるという戦略で誕生したハイブリッド車と公益資本主義が似て見える。

 

物が悪いわけではなく、未来に向かってないと感じさせる歯切れの悪さがある。

 

長期的な展望を描き、長期的に取り組めない仕組みが社会にあるから、明るい未来が描けないのであれば、株主資本主義から公益資本主義への移行は効果あるだろうが、今の行き詰まりはそこではないような気がする。

 

”衣食足りて礼節を知る”と言う言葉が、現代では”お金が足りたら礼節知る”になっている。

 

翻ると”お金が足りないから礼節知らない”になっている。

 

 

しかし、礼節が足りない人に足りないのは、親切や優しさの気持ちだ。

 

 

 

資本主義の良いところは競争を促進するところで、それが前向きなモチベーションを掻き立てる点にあるが、そのモチベーションは冷たい北風を吹かせることが多い、最近では北風しか吹いてない。

 

そんな時代が求めるのは太陽だろう。